AIで何でも作れるようになったと言われる。実際そうだと思う。先日、エンジニアリングの知識のない自分でもアプリが作れてローンチすることまで出来た。バナー、提案資料、コピーは余裕で、動画やウェブサイト全体でさえ、意図さえ言語化できれば、それなりのものがパッと出てくる。デザインや言語化のスキルがある種の参入障壁として機能してきた時代は、急速に終わりつつある。
コストが下がり、スピードが上がり、リソースの少ない事業でも一定品質のアウトプットが手に入る。実際、デザインを生業にしていない多くの企業がそう受け止めている。しかし、ブランディングの観点から見たとき、ここにゆっくりと進行している深刻な問題がある。
107%陽気な平均値
最近WIREDで紹介されていた研究が、そのことについて強く指摘していた。Imperial College London、Stanford、Internet Archiveの共同研究によると、2022年以降に新しく公開されたウェブサイトの約35%が、AIで(あるいはAIの支援を受けて)書かれていた。
https://wired.jp/article/ai-slop-is-changing-the-internet-just-not-how-you-might-think/
意外だったのは、研究チームが事前に立てていた「AIによって文章は画一的で、機械的な文体になるはずだ」という仮説のほとんどが外れたことだった。文体は想定したほど均質化していなかった。フェイクや誤情報も、想定されたほどは増えていなかった。
代わりにはっきりと出た結果がふたつある。AI生成のウェブサイトのポジティブ感情スコアは、人間が書いたサイトに比べて約107%高かった。文章は不気味なほどに「陽気」だった。研究チームはこれを、大規模言語モデルの「ごますり」と「過度な楽観主義」の症状だと書いている。そしてもうひとつ、意味類似性のスコアが約33%高かった。文体ではなく、考え方そのものの多様性が失われていた。
チェーンを拒否したはずの店が、なぜ同じ顔をしているのか
興味深いのは、この均質化がネット上のテキストだけの話ではないということだ。
ほぼ同時期に、The Conversationに掲載された別の研究がある。University at BuffaloとUniversity of New Orleansの研究者たちが、北米都市の若手プロフェッショナル100人超に「お気に入りのインディー系コーヒーショップ」の内装写真とそのデザイン要素を聞いた調査だ。
結果は残酷なほど一貫していた。お気に入りの店の約3分の2でバリスタがタトゥーやピアスをしており、むき出しのレンガ壁、黒板メニュー、再生木材のカウンター、地元アートの展示、ヴィンテージ家具、観葉植物。いわゆる「インディーで、本物っぽくて、イケてる」記号が、判で押したように共通していた。
研究チームはさらに、6枚の写真を見せて「これはシンシナティ、セントルイス、トロントのどれにあるカフェか」を当てさせた。全問正解者はゼロ。シカゴとサンフランシスコの2都市から1枚ずつ当てさせるテストでも、両方正解できたのはわずか6%だった。3,000km離れた都市の、チェーン店を拒絶するはずの個人経営店が、視覚的にはほぼ区別がつかないほど均質化していた。
スターバックスの画一性を嫌って独立系を始めたはずの店たちが、結果として「もう一つのチェーン」になっていた、ということだ。
ふたつの研究が同じことを言っている
AI生成のウェブと北米のインディーコーヒーショップについての2つの研究は、別々の現象を扱っているように見えて、本質的には同じことを言っている。
「合理的に良いとされるもの」を一人ひとりが選び続けた結果、社会全体としては誰もが似たような「感じのいい平均値」に収束していくということだ。
カフェのオーナーは、自分の店を魅力的にしたかった。彼らは悪意で似た内装を選んだのではない。InstagramやPinterestで「評判のいい見せ方」を参照し、銀行融資のリスクを抑えるために幅広い顧客に受ける無難なデザインを選び、その結果として、各人の最適化の総和が街全体の同質化として現れた。
AIスロップも構造は同じだ。担当者は手抜きをしているつもりはない。むしろAIが使えるようになって、これまで自分の担当領域よりも拡張して頑張っている。AIが提案する「ポジティブで角のない、エンゲージメントの取れそうな表現」をひとつずつ採用していった結果、企業のSNSも提案資料もウェブサイトも、不気味に陽気で、不気味に似通った何かになっていく。
これからのブランディングが直面しているのは、まさにこの問題だ。一人ひとりの合理的な最適化が、集団としての均質化を生む。そしてAIはその均質化のスピードと規模を桁違いに引き上げる。
スロップはゆるやかな死である
AIによって量産されるこうしたアウトプットは「スロップ」と呼ばれ、AIが吐き出す粗悪な生成物全般を指す。ただし、これはわかりやすい不良品ではない。誤字脱字でもなく、文法の崩れでもなく、明らかな嘘でもない。表面的にはきれいで、明るくて、感じがいい。読んでいる間は何の引っかかりもない。なのに、読み終わったあとに何も残らない。誰のための言葉なのかが消えている。
そして、スロップの本当の問題は、それが積み重なったときに現れる。甘くてかわいいスナック菓子だけを食べ続けて死ぬ、という種類の毀損に近い。一口ごとには美味しい。満足感もある。だが、その積み重ねが何年もかけて身体の構造そのものを蝕んでいくことに、本人は気づきにくい。激辛料理や腐ったものなら、その場で吐き出せる。スナック菓子は吐き出せない。
企業のブランディングで起きているのも、まさにこれだ。日々のSNS投稿、バナー、提案資料、社内資料、店舗の内装、商品パッケージ。一つひとつは悪くない、むしろ感じがいいアウトプットの積み重ねが、ブランドの輪郭を静かに溶かしていく。担当者は良いことをしているつもりで、毎日少しずつブランドを死に近づけている。
「AIで安く早く作れた」「PinterestやMobbinで参考にしたから安心」と喜んでいる裏で、企業が長年積み上げてきた識別性や独自性、つまりはブランドの最も本質的な資産が、毎日少しずつ目減りしていく。一発の大事故ではなく、毎日の小さな手抜きが地層のように堆積していく種類のゆるやかな死だ。
ブランドとは「あえてやらなかったこと」の集積
最近Xで片石貴展氏(株式会社ゆとり代表)が書いていたポストに非常に共感した。
これは、AI時代のブランディングを語る上で、もっとも重要な定義のひとつだと思う。
AIが得意なのは、まさに「合理的に考えたらやった方が良いこと」の最適解を出すことだ。SEOに強い見出し、エンゲージメントの取れそうな構文、ターゲットに刺さりそうな訴求、A/Bテストで勝ちそうな配色。AIは、合理の最大化に関しては人間を圧倒的に上回る速度と精度を持っている。
しかしブランドの輪郭をつくるのは、その逆側だ。合理的にはやった方が良いと分かっていても、あえてやらない。短期的なエンゲージメントを取りに行かない。流行のトーンに合わせない。説明しすぎない。誰にでも刺さる言葉を選ばない。この「あえてやらない」の判断の積み重ねが、他社と区別がつくブランドをつくる。
逆に言えば、AIの合理に身を委ねるほど、ブランドはアルゴリズムが推奨する平均値に収束していく。107%陽気で、33%似ている、あの平均値だ。むき出しのレンガ壁と、タトゥーのバリスタと、黒板メニューの、あの平均値だ。
つまりAI時代におけるブランディングの本質は、「AIに何をやらせるか」ではなく、「AIが合理的に推奨してくるものを、どこで断れるか」にある。
断る力を構成する三つの能力
AIの推奨を断り、自社の輪郭を保つために必要な能力は、三つに整理できる。
1つ目は、テイスト。
これは判断力であり、知識と経験の集積である。何を選ぶか以上に、何を選ばないかを判断する筋肉と言ってもいい。AIは無限に選択肢を出してくるが、その中から「自社にとって正解」を選び抜き、合理的に推奨される8割を捨てるには、判断の参照軸が必要になる。
これは、好奇心と絶え間ないインプット、そしてその反芻によってしか鍛えられない。さらに重要なのは、主文脈に対して別文脈のものを当てて、その間隙から意味を読み取る力だ。飲料ブランドのビジュアルを考えるときに、飲料カテゴリだけを見ていても差は生まれない。建築、現代美術、ストリート、地方の祭りの写真集。一見無関係なものを並べたときにだけ立ち上がってくる行間がある。その行間を捉えられる人間が、AIの平均値を超えるテイストの判断ができる。
テイストはセンスという曖昧な言葉でくくられがちだが、その実体は地道な蓄積と反芻だ。組織として時間をかけて育てる必要がある資産である。
2つ目は、意思と勇気。
意思とは、要するに「何と何を一緒にするか」を決めることだ。コピーとビジュアルの組み合わせ、カテゴリと表現のズラし方、出すタイミングと出さないタイミングの判断。AIは無数の組み合わせを提示するが、「これでいく」と決めるのは人間の側にしか置けない仕事である。
そして、意思には必ず勇気が伴う。世の中にまだ存在しないものを世に出すには、必ず勇気が要る。社内の合意を得やすいのは、AIが最初に提案してくる「ポジティブで角のない平均値」のほうだ。Pinterestで「評判のいい見せ方」が見つかってしまうほうだ。そこから外れた選択肢は、必ず「本当にこれでいいのか」という不安を伴う。
ブランドが識別性や独自の魅力を持てるかどうかは、最終的には組織がこの「不安に耐えられるか」にかかっている。意思と勇気は、技術ではなく組織の体質の問題であり、ここを鍛えていない企業のAI活用は、確実にスロップ方向に流れる。
3つ目は、ユーモア。
ユーモアとは「これが面白い」と発信することで、言語の外側にある価値観を共有する誰かと出会い、つながるための装置だ。面白いと思うポイントが共有できる相手は、自分と同じ世界の見方をしている。逆に、ピンと来ない相手は、そもそも違うレイヤーで生きている。
そして重要なのは、発信する側に「わからない人には、わからなくていい」と腹をくくる覚悟があることだ。全員に伝わるように説明を足した瞬間、ユーモアは平均値に溶ける。あえて全員には届けない、という能動的なフィルタリングがあって初めて、刺さる相手とのあいだに強い共感の回路が生まれる。
これは、AIが最も苦手な領域でもある。LLMは誰にでも伝わるように振る舞うよう訓練されており、「わからない人には、わからなくていい」という判断は、AIのデフォルト出力には決して出てこない。Liquid Death、Oatly、Duolingoの広告運用が機能しているのは、面白いからではなく、面白さを通じて「自分たちの仲間」を選別し、束ねているからだ。
ユーモアを武器にすることは、軽くなることではない。「わからない人にはわからなくていい」と引き受け、本当に届けたい相手とだけ深くつながるための、極めて戦略的な行為である。
良薬口に苦し
テイスト、意思と勇気、ユーモア。この三つは、AIのバージョンが上がってもコモディティ化しない。ツールではなく、組織の中の人間の身体と経験にしか宿らないからだ。
逆に言えば、ここを育てていない組織は、AIを導入すればするほど、自社のブランドを薄めていくことになる。スナック菓子を毎日食べ続けて、それを健康的な食生活だと思い込んでいるのと同じ状況だ。北米の独立系コーヒーショップで起きたことは、これからあらゆる業界で起きる。そしてAIによって、そのスピードと規模が桁違いになる。気がついたら、自社のクリエイティブは、競合とも、無関係なスタートアップとも、3,000km離れた他都市の店とも、見分けがつかなくなっている。
ブランディングを担う側の責任も、ここにある。
クライアントから依頼を受けてから動く受託型のモデルでは、もう間に合わない。クライアントが「モヤモヤ」を抱えた段階で、社内のAIが陽気な"それっぽい案"をすでに出してしまっている。そこから正攻法で介入しても、議論の土俵はすでに平均値の側に引き寄せられている。
そして、クライアント自身が悪いわけでもない。むしろ彼らは、合理的に、まじめに最適化を続けているだけだ。問題は、その「合理的な日々の選択」がそのままスナック菓子の摂取になっている、という構造のほうにある。北米のカフェオーナーたちが悪意なく似た内装を選んでいったのと、まったく同じだ。
外部のデザイン会社、ブランディングパートナーの役割は、ここで変わる。AIによって「感じのいいもの」がいくらでも手に入る世界では、もはや「綺麗なものを作る人」としての価値はほとんど残らない。残るのは「良薬口に苦し」として処方できる立場を意識して取れるかどうかだ。
短期的には飲みづらい。社内の合意は取りにくい。最初のエンゲージメントは平均値より低いかもしれない。でも、5年後10年後にブランドの輪郭をつくっているのは、確実にこちら側の選択だ。そう言い切れる具体を、こちらから先に置くために動く。「合理的にはこれだが、あえてこちらでいく」というプロトタイプそのものが、議論の土俵を定義する。先手必勝というより、先に具体を置いた者がブランドの輪郭を引けるという構造の話だ。
スナックを差し出す存在は、もうAIがいくらでも代行してくれる。だからこれからのデザイン会社は、苦い薬を、なぜ今これを飲むべきかの理由とセットで差し出す側にまわるしかない。
AI時代のブランディングに残るのは、技術ではない。日々の合理に流されず、自社にとっての「苦み」を組織として選び続けられるかどうかである。そしてそれを外から支える側にとっては、苦い薬を出し続ける覚悟と胆力があるかどうかである。





