つい数日前、ハワイ大学のJayson Chun先生と、ちいかわの話をする機会があった。
先生は日本・中国・韓国など東アジアのポップカルチャーを研究している方で、ちいかわについても継続的に調べている。せっかくなので、前から気になっていたことを聞いてみた。
「ちいかわって、アメリカでも人気になると思いますか?」
実はこの質問は先日、私がCNNの記者から取材協力を求められた際に質問されたもの。
正直、私はアメリカでは文化背景が違いすぎて「かわいい見た目」は受け入れられても内容自体は受け入れられるのだろうか、とかなり頭を悩ませた質問だった。実際、まだ映画の公開はアジア圏にとどまっているし、今後の動向に注目している段階だ。
先生の答えは、可能性はある、というものだった。特にZ世代との相性については、かなり前向きに話していたと思う。
ただ、その会話の中で私がいちばん引っかかったのは、実はそこではなかった。
アメリカでは、"弱いヒーロー"が必ずしも好まれるわけではない。
そういう趣旨の話が出たのだ。
言われてみれば、そうかもしれない。でも、その「言われてみれば」が、自分の中でずっと消えなかった。だから今日は、そこから考えたことを書いてみたい。
たしかに、アメリカのヒーローは強い
アメリカのヒーロー像と聞いて、多くの人が思い浮かべるのはマーヴェルだと思う。アイアンマン、キャプテン・アメリカ、スパイダーマン。
ここで誤解されたくないので先に書いておくと、彼らは「悩まない人たち」ではない。
トニー・スタークはパニック発作を起こすし、自分の作ったものが世界を壊したことに苦しみ続ける。スティーブ・ロジャースは、自分が生きるはずだった時代を丸ごと失っている。ピーター・パーカーに至っては、大切な人を失い、お金がなく、学校も恋愛もうまくいっていない、ほとんど「うまくいっていない側」の主人公だ。
彼らはちゃんと傷つくし、泣くし、一度は折れる。
それでも、多くの場合、最後には立ち上がる。
そして、立ち上がったあとに何をするかが、けっこう決まっている。
悪と戦う。仲間を守る。大切な人を守る。自分の力を使って、状況を、あるいは世界を変えようとする。
つまりアメリカには、「ヒーローとはこういうものだ」という、完成度の高い文化的なイメージがすでにあって、これは古いとか新しいとかの話ではなく、長い時間をかけて磨かれてきたひとつの完成形だと思う。
その基準で見ると、ちいかわはかなり違う
さて、今度はちいかわを見てみる。
ちいかわは、試験に落ちる。怖くて泣く。言いたいことが言えない。仕事で苦労する。ひとりではできないことがたくさんある。友達に助けてもらう。日常のちょっとした出来事で、わりと本気でパニックになる。
基本的には世界を救う話ではない。巨大な悪を倒して、壊れた世界秩序を取り戻す物語でもない。
映画に関していえば、おおすじでは、子供がわかりやすいように悪者役(にされている)セイレーンを倒すという流れにはなっているけれど。(もっと違う目線があることはもちろん理解している。)
そう並べると、たしかに、こう思いたくなる。
——これ、アメリカだと「弱すぎる」と受け取られたりしないだろうか?
私も一度、そこで立ち止まった。
でも、私が気になったのはその先だった
ちいかわを見ていて、私がずっと引っかかっているところがある。
彼らは、弱い。でも、逃げ続けるキャラクターではない。
怖くても、討伐の仕事には行く。試験に落ちても、また勉強する。失敗する。泣く。誰かに助けてもらう。それでも、次の日が来れば、また起きて、また働く。そして、友達が危ないとなれば、震えながらでも助けに行こうとする。
これって、どういう状態なんだろう?
「弱さを克服して強くなる」という物語ではない。彼らは最後まで弱いままでレベルアップして強くなっていくストーリーではない。
でも、続いている。
そこまで考えて、弱さを克服することだけが「強さ」なのだろうかと思い始めた。弱いまま日常を続けることは別の種類の強さと呼べるのかもしれない。
「これこそが新しいヒーローだ」と言い切るつもりもないが、ただこの見方をしてみると、ちいかわの物語が少し違って見えてくる。
「世界を救う」と「今日を生きる」
ここが、今日いちばん書きたかったところ。
マーヴェルが「世界を救う」物語だとしたら、ちいかわは「日常を生きる」物語なのかもしれない。
そして私は、この二つを優劣で並べるのではなく、どちらが上でも、どちらが新しいわけでもない。そもそも、満たしている欲求が違うのだと感じている。
巨大な敵を倒すヒーローに憧れる気持ちと、今日一日をなんとか生きたキャラクターに自分を重ねる気持ちは、同じ人の中でふつうに共存できる。映画館でアベンジャーズに拳を握った人が、帰りの電車でちいかわのスタンプを送る。それは全然矛盾じゃない。
だとすると、ちいかわがアメリカで受け入れられるとしても、それは既存のヒーロー文化を置き換えるからではない。
「世界を救うヒーロー」とは別の場所に、「日常を生きる主人公」という席をひとつ作る、ということなのかもしれない。
なぜ、Z世代なのか
Jayson先生が特にZ世代を挙げていたのも、この文脈だとわかる気がする。
もちろん「アメリカ人はこうだ」と一括りにする話ではない。国の中にも世代差はあるし、人によってまったく違う。その前提は変わらない。
ただ、アメリカのZ世代は、日本のアニメやキャラクター文化に、かなり自然な形で触れてきた世代でもある。従来のアメリカ的ヒーローとは違う主人公像を、すでにたくさん見ている。
常に勝たなくてもいい。強くなくても主人公になれる。誰かに助けてもらってもいい。完璧でなくても、物語の真ん中にいていい。
そういうキャラクターを受け入れる土壌が、あらかじめできているのではないか。これも断定ではなく、私の仮説として書いておこうと思う。
中国では、ちいかわは「痛み止め」として読まれている
もうひとつ、面白い視点がある。
Jayson先生の中国に関する研究では、ちいかわのような存在が「Digital Ibuprofen(デジタル・イブプロフェン)」という文脈で語られている。
イブプロフェンは鎮痛剤だ。つまり、現実の問題を解決してくれるわけではない。受験も就職も競争も、何ひとつ消えない。でも、その痛みを少しだけやわらげて、今日をやり過ごさせてくれる。
同じちいかわなのに、見えているものが違う。
日本では「かわいい」「守りたい」「自分を重ねる」。 中国では、競争社会を生き延びるための小さな鎮痛剤。 そしてアメリカでは、従来のヒーローとは別の場所に置かれた「日常を生きる主人公」——になる可能性がある。
これは厳密な学術分類ではなく、私の中での整理だ。でも、こうして並べてみると、はっきりわかることがひとつある。
キャラクターは、国が変わると、読まれ方まで変わる。
今日の結論
もしちいかわがアメリカで人気になるとすれば、それは「弱いヒーローの時代が来た」からではないと思う。マーヴェルが古くなるからでもない。
「世界を救う」物語とは別に、「今日を生きる」物語を必要としている人たちが、そこにもいるからだ。
そしてその二つは、たぶん、同じ棚に並ぶ必要がない。
ちょうど2026年9月、The Economistでも、ちいかわと"不安の時代"というテーマで記事が出ている。Jayson先生も、専門家としてコメントを寄せている。日本国内の考察とはまた違う角度で、このキャラクターが読まれ始めているのだと思う。
海外から見ると、ちいかわはどう見えているのか。
Jayson先生の日本・中国での研究や、「Digital Ibuprofen(デジタルイブプロフェン)」の話は、推し活未来研究所のnoteでもっと詳しく紹介しています。
▶ https://note.com/oshikatsu_labo/n/n84f22d373ab8
先生が監修しているThe Economistの記事はこちら
「Chiikawa, star of a Japanese blockbuster, appeals in anxious times」**
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