82 歳の祖母をハワイへ連れて行くために Uber ドライバーとして 145 時間働いた話

82 歳の祖母をハワイへ連れて行くために Uber ドライバーとして 145 時間働いた話

@Rocky_satsuei
日本語2 週間前 · 2026年5月03日

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TL;DR

母の死後、著者は毒舌な 82 歳の祖母をハワイ旅行へ連れて行く資金を稼ぐため、Uber Eats の配達員として 145 時間働いた。人生を豊かにする「回り道」についての、感動的でユーモアあふれる物語。

Uber ドライバーとして 145 時間働き、祖母(82 歳)をハワイに連れて行きました。5 ヶ月間、雨の日もクリスマスも自転車を漕ぎ続けました。ようやくハワイのホテルに着いたとき、祖母の第一声は「部屋から海が見えないと話にならない」でした。

小さい頃から、私は「おばあちゃん子」でした。よく祖母の家に遊びに行っていて、親の家に帰る時間になると泣いていたそうです。今でも祖母はそのことをからかいます。初めて給料をもらったときは、両親と祖母を焼肉に連れて行きました。祖母が水で肉を流し込む様子が、大食いの小林尊みたいでちょっと気持ち悪かったのを覚えています。

誕生日にはお寿司もご馳走しました。お返しに祖母は私の誕生日にスーパーで卵を 1 パック買ってくれました。祖母は等価交換の概念を理解していません。もし彼女が鋼の錬金術師の世界にいたら、真理の扉で両腕と両足を失っていたでしょう。

家ではいつも祖母をからかっていて、「ママオ」(私の母)は笑いながら「やめなさい」と見守っていました。明るいリビングでのあの笑い声こそ、私の心の原風景です。母は亡くなる前に、私だけにこう言いました。

「ヒカル、おばあちゃんをよろしくね。」

その言葉はずっと、私の背中に貼りついています。

ハワイの話をしなければなりません…

祖母の誕生日に、まるでバーソロミュー・くまのように「旅行に行けるとしたらどこに行きたい?」と聞きました。祖母は「ハワイに行ってみたい」と言いました。ハワイは高いと聞いていて、2 人連れて行くのは給料では厳しいと思いました。でも、祖母が自分の足で歩いて楽しめる時間は、そう長くないかもしれないと気づきました。だから、無理してでも半年後にハワイに行こうと決めました。

予算は 60 万円(エコノミークラスでごめんなさい)。毎月 5 万円貯金することに加えて、残りの 30 万円を Uber で稼ぐことにしました。それからの私の生活は、平日は 18 時に仕事を終え、帰宅して 19 時から夜遅くまで自転車を漕ぐ毎日でした。

Uber をやってみて最初に思ったのは、食べ物を地点 A から地点 B に運ぶだけでお金がもらえるという事実が、あまりにも不条理で笑えてきたことです。そして、私はめちゃくちゃケチになりました。何でも「Uber 換算」するようになったんです。大好きなハーゲンダッツのバニラアイスも、「これは配達 1 回分だ」と思って棚に戻すようになりました。

Uber で一番きつかったのは、渋谷のポーカールームへの配達です。エレベーターに乗ってドアが開くと、そこは本格的なポーカールームでした。Uber バッグを持った男がエレベーターから現れた瞬間、店内の全員が一斉に私を見て、またゲームに戻りました。一刻も早く去りたくて、受付に「すみません、Uber です」と言うと、「知らない」と言われました。「知らない?」と思いながら、注文した人が名乗り出るのを入口で待ちました。

すると、一番近くのテーブルにいた派手な男が「Uber 頼んだのは誰だ?」と叫びました。嫌な予感がしました。彼は隣のプレイヤーに「お前が Uber 頼んだんだろ?」と聞き始め、相手は「誰が Uber 面だよ!」と返しました。世界で一番つまらない会話でした。その場でポーカーで彼らを叩きのめせるプロの「関の横沢」になりたいと思いましたが、私はただの「Uber の篠原」なので、哀れな苦笑いを浮かべてエレベーターに逃げ込むことしかできませんでした。

人生初の夜勤の肉体労働も経験しました。平日の仕事を終えた後、深夜に地下鉄のトンネルに入って撤去作業をしました。その時の自撮りを X に投稿したら、ゲイの方々に発見されて大量にフォローされました。一瞬、OnlyFans で稼ごうかと考えましたが、OnlyFans で稼いだ金でハワイに連れて行かれても祖母は喜ばないだろうと思い、次の日も自転車を漕ぎ続けました。(※あくまで個人の意見です!裸になって稼いだお金でエルメスを買うのも、立派な努力の結果だと思います!)

12 月、祖母にハワイに連れて行くために Uber を始めたことを伝えました。孫の優しさに感激の涙を流すかもしれないと心配しながらも、祖母は肘をついて「ハワイもいいけど、温泉にも行きたいね」と言いました。欲張りすぎて笑ってしまいました。デッキからカードを 2 枚引きそうになりました。

お金は少しずつ貯まり、1 月に飛行機、2 月にホテルを予約しました。ハワイが確実に近づいていることに興奮したのを覚えています。旅が近づくにつれて、祖母との LINE のやり取りも自然と増えました。祖母のメッセージは誤字だらけで、既読しても無視します。返信を求めると「ごめん、忘れてた」と、まるで私に興味がない人のような返事が返ってきます。でも、祖母との LINE は予測不能だから楽しいんです。「ハワイ楽しみ?」と送ると、「BYE!」のスタンプが返ってきました。意味はまったくわかりません。

祖母の好きなところは、その遠慮のなさです。ハワイのホテルに着いた瞬間の第一声が「部屋から海が見えないと話にならない」でした。初日の夜には、ハワイの文句を並べ立てました。「物価が高い、料理がまずい、ぼったくりだ」と。1 ドルも払っていないのに。最高でした。

ハワイはかなり高くて(チャーハンとシーフード焼きそばで 1 万円超え)、やりたいこと全部はできませんでしたが、行ってよかったです。最終日はホテルの部屋をオーシャンビューでダイヤモンドヘッドが見える部屋にアップグレードしておいたので、祖母がようやく「ヒーちゃん、ありがとう」と言ってくれてよかったです。射撃場で撃った服をパジャマにしていたことから、帰りの飛行機で「TED」のエッチなシーンに顔を隠して笑っていたことまで、すべてが最高でした。

ハワイに着いたときは感動するかと思いましたが、意外にもしませんでした。むしろ、こうして書き出してみると、実際の旅よりも過程の方が多いんです。こういうことは、目標に向かって頑張っているときにピークを迎えるものなんです。「寄り道をしろ。大きくしろ。そこにはきっと、欲しかったものより大事なものがある。」というハンターハンターのジンの言葉は、そのまま私の人生です。ハワイの美しい景色よりも、思い出はあの哀れな寄り道——深夜の肉体労働、ポーカールームでの屈辱、泥まみれで自転車を漕いだ日々——に詰まっていました。

でも、帰りの飛行機で「楽しかった?」と聞いたら、「幸せだったよ」と言われて、泣いてしまいました。

帰国してから思い出すのは、何気ない会話や寝る前のダンス、日本でもできたようなことばかりです。でも、それが旅の本質だと思います。正直、人生で一番疲れました。もう祖母のペースで歩いたり、重いスーツケースを 2 つ運んだりする必要はありません。ハワイから帰った翌日、自分の歩幅で歩けるという事実に感動すらしました。でも、年に 1 回くらいは、またあのペースで歩きたいと思います。

ママオ!おばあちゃんをハワイに連れて行ったよ!!

るん(篠原光) on X — cover

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