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試し行動概論
小学校の先生がやるアレ
この世で一番わかりやすい試し行動となると、小学校の先生がやるアレになるのだろう。あなたの学校にもいたのではなかろうか。「もう授業しない!」と言って職員室にこもり、しばらくしてから「なんで誰も謝りに来ないの?」という変な先生。
なんだったんだあれ。意味わからなさ過ぎてめっちゃ怖かった。多くの人が経験しドン引きする、試し行動の決定版である。早く法律で禁止しろ。残すべきじゃない方の伝統だろ。あれ嫌すぎるんだから。
あの先生、本当に変だし怖いし何ならかわいそうだった。子どもの僕もマジで引いた。自分で帰っといて、もう一回こっち来るのなんなんだよ。
スネ夫が「ごめんなのび太、このおもちゃは4人用なんだ」と言った直後に「のび太、なんで僕と遊ばないんだ?」って言い出したら怖いだろ。アンパンマンが「僕の顔を食べて」って言った直後に「食べちゃだめだよ」って言ってきたら怖いだろ。それと同じことしてるんだよ。あの先生。直前との矛盾は怖いって。
「なんで誰も謝りに来ないの?」じゃないんだよ。皆どうしていいか分からないんだよ。誰が、何を、なぜ、どれくらいの熱量で謝ればいいのか、正解が誰にも分からない、だから謝らないんだよ。謝れないんだよ。
あんな意味不明な姿を一度でも見せたら、勘のいいガキから順番にその先生を舐め腐るのに、そんなことも想像せずそうしていたのだろう。本当によくない。この記事を読んでいる学校教員の皆さん、どうかはあれだけはやらないであげて。
やる側にさえ得がない
試し行動のよくなさ、重要なこととして、やる側にも得がないこと。それってめっちゃ致命的だ。人に迷惑をかけたなら、せめてそいつは得してほしい。
例えばんだろう、横領とか、詐欺とか、めっちゃダメだよ、めっちゃダメだけど、動機とか狙いはギリ分かる。倫理のブレーキがあるからやらないけれど、なんていうか理解はできる。
例えば担任の先生が学校の予算から横領していたとするじゃない? めっちゃダメだよ、めっちゃダメだけど、「ああ、何か欲しかったのかな」とか「緊急のお金だったのかな」とか「浪費癖があったのかな」とか、色々と説明をつける方法がある。理由によっては「ダメだけど、分かる」「ダメだけど、同情の余地がある」くらいまで到達することもあるだろう。
しかし、試し行動はそうならない。そもそも、やることに得がないからだ。だって、人からの信頼をなくし、人が離れていくのだ。倫理的によくないのみならず、目的合理性の観点からみて不毛である。そんなことはやらない方がいい。
それでも割とみんなやる
それでも、なおも試し行動を実行に移す人は後を絶たない。割と多くの人がやる。なんでだよ。まあ、仕方がないのかも。世の中、計画性のない奴も客観性のない奴も変な奴も怖い奴もかわいそうな奴も結構いる。結構いるというか、みんな状況次第でそのどれかに当てはまったり、抜け出したりを繰り返して生きている。
僕もあなたも、ときどき変な奴だったり怖い奴だったりかわいそうな奴だったりするわけだ。そういうとき、バグって試し行動に出ちゃうこともある・あっただろう。
だからこの記事がある。注意喚起だ。この記事では、試し行動の何がよくないか、試し行動をする人間がいかに愚かかについて書く。ここまででも書いてきたけれど、これ以降でもっと詳細に書く。この記事を読んだ僕やあなたの、いつか来るであろうその日に「いや、試し行動はやめておこう」と決意させることが目標だ。心のブレーキを外付けするための記事である。
試し行動は、具体的には以下の二つの意味でよくない。①関係性がフェアでなくなること、②どうせまともに試せなどしないこと、である。①は倫理の次元、②は機能の次元だといえる。
第一の問題:関係性のフェアじゃなさ
一方が見かけの上で偉くなってしまう
「試し行動」の抱える第一の問題点は、関係性がフェアでなくなることにある。一方が一方を試すとき、片方が見かけの上で偉くなってしまう。
試し行動は「試す」という言葉の通り、「正解」と「評価」を持っている。小学校の例でいうところ、「先生に謝りにいく」が「正解」に当たる。それをするかしないかで、試した側からの「評価」が下される。
そういう構図は、現実の対等な人間関係とは大きくかけ離れている。試す側が、見かけ上あまりにも偉すぎるからだ。人間同士が明確に「試す側」と「試される側」に分かれる場面は、入社面接やスピーチコンテストなど、ごく限られたものしかない。
しかもそれらは極めて明確な手続きと、明確な役割分担のもとに行われるものであり、日常生活からふわっと急に同意なく始まるものではない。試し行動は、それが行われることも、それが始まることも、全くフェアではないのだ。
偉くなること自体に目的があるかもしれない
まあぶっちゃけ、試し行動をする奴の中には、試し行動を通じて「自分の方が偉く、相手をコントロールする側である」と認識したい奴はいるのだろう。フェアではないルールを敷ける側というのは、偉いからだ。
しかしまあ、相手より上に立ちたいと思うことも、相手より上に立つための方法が「ジャッジする側になること」だと思うことも、本当に筋が悪い。審判の方が大谷翔平より上だと思う野球ファンは一人でもいるのか。ちゃんとプレーヤーとして人間関係をやったほうがいい。
その偉さもしょせん見かけの上でしかない
さて、ここで重要なのは、試し行動をして見かけの上で偉くなれたとして、実際に偉くなれるわけではないということだ。
「試し行動」をしたところで、強い側には立てない。なんなら、試し行動をすることは「相手に正解を出してほしいとお願いする側になる」ということでもある。その意味で試し行動は相手への依存であり、自立の放棄でさえある。
だからこそあの先生は「なんで謝りに来ないの?」と言ってしまったのだ。「なんで謝りに来ないの?」(=謝りに来い)と言うことは、実質的には試しでもなんでもない。ただのお願いである。「試せてすらない」のだ。
お願いする側が偉い側なわけはない。なんなら相手より下になってしまう場合さえある。だったら初めから回りくどく試すようなツラを作らないで、素直にお願いした方が絶対にいい。そっちの方が受け入れられやすい。お願いする人の方がよっぽどかわいらしく、愛しやすく、親しみやすい。
第二の問題:そもそも人を試すのが難しい
人間を試すことは難しすぎる
試し行動が持つ二つ目の問題点は、「人間を正確に試すことが難しい」ということだ。入学試験やら資格試験やらでも、しょっちゅう出題ミスだ、採点基準が謎だ、試験の公平性がどうだと問題が起こる。一年かけて専門家たちが準備する試験でもそうなのだ。それも「英語」だ「数学」だ「道交法」だ、明確な範囲のある、答えをちゃんと作れそうな問題でさえそうなのだ。
それを、一個人が正確に人間を試すなんて、無理だ!!! 試し行動なんか人間には正確に遂行できない。「相手が自分を大切にしているかどうか」だとか「相手が義理堅いかどうか」だとか「相手が本気でやっているかどうか」だとか、そんなわけのわからないものをちゃんと試せるわけがない。
しかも試し行動を作題・出題するときの人間なんて、どうせ変な奴・怖い奴と化している状態なんだ。余計に精度が低くなる。だからどうせ破綻する。
破綻の例①「正解」がおかしい
いくつか、試し行動が破綻するパターンについて列挙しておこう。
まず、想定している「正解」がぶっ飛び過ぎてて常人には思いつかなさ過ぎる、というパターンがある。試し行動をする奴なんて、そのタイミングではどうせたいして客観性もない。答えを変なところに置いてしまうエラーが想定される。
「職員室に戻る!」と言って戻っていった先生への正解が、まさか「ごめんなさい、もう一回授業してください」だとは思わないだろう。なんか怒らせちゃったな、そっとしておこう、って思うだろ。正解が置いてある場所が変だと、回答者がメッセージを追えない。
破綻の例②「問題」がおかしい
なんで①になるかというと、もとを辿れば「正解」へと導くための「問題」が機能していないからだ。試験問題というのは、相手が正解を出せるように、丁寧に誘導をし、条件を絞り込み、出来る限り別解の可能性をなくして作られる。そういう作業をするには俯瞰的なまなざしだとか、回答者の立場を考えることだとかが求められる。
しかし、俯瞰できる状態・他人の立場を考えられる状態なら試し行動なんかするわけがないので、どうせ試し行動の問題文は変なのだ。
例えば小学校の先生のケースで考えると、「学校は授業をするところであり、授業を先生が放棄してはいけないから、先生は授業をしたいししなければならないという前提がある」みたいなことが、先生から見たときには問題の大前提になっている。
んなもん、生徒からしたら知ったこっちゃない。だけど、先生からしてみればこれも「問題文に書いてある」のである。学校ってそういう場所だから。答えられるとばかり思っているのだ。もちろんむっちゃ変な話である。
破綻の例③「採点」がおかしい
最後に、試し行動へのアンサーとして相手がとった振る舞いの意味を正しく認識できず、「採点」がヘボくちゃになるパターンがある。相手が「正解」に近い答えを出してくれたところで、あるいは相手なりに精一杯考えて振舞ったところで、その答案を見る目がめちゃくちゃだったら何にもならない。
小学校の例でいうところ、クラスの子たちが「先生が帰ってくるまで自習して反省しておこう」とか思ったとする。それって状況に対する反応としてはかなり正解に近いはずなのだけど、先生からしたら想像していた答えではないし、求めていたのものでもないからムキイイとなって怒ってしまう、的なアレである。何から何までよくない。
結論
試し行動なんかすんな
要するに、試し行動とは思慮も想像力も言語運用能力もある器用な奴が、本当に体調のよい、心身ともに十分な日でないと成立させられない超高等技術なのだ。そんなもん使えないし、使えなくていい。無理して使うとやけどする。試し行動を上手くやれる奴ならば、試し行動以外の方法を選べる。したがって、試し行動なんぞ誰もしなくてよいのである。
さて、ここまで読んだからには、どうかあなたには試し行動をしないで生きていってほしい。また、他者に試し行動をされたときには、この記事の内容を思い出して、「ああ、相手が今トラブってるんだな」と、少しだけ考えてあげてほしい。
ただでさえジャッジの目線が飛び交う社会なのだ。余計なストレスのかかる試し行動と距離を取りながら、サバイブしていこうね〜!

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