こんなことを試してみました。
「しんどい夜に読みたいマンガを教えて」
AIアシスタントの「Gemini」に聞いて、返ってきた答えは想像以上にやさしく、的確でした。今夜1冊だけなら真造圭伍さんの『ひらやすみ』、長い時間軸でしんどさを捉え直したいなら山田鐘人さん・アベツカサさんの『葬送のフリーレン』、少しずつ立ち直る姿に背中を押されたいなら羽海野チカさんの『3月のライオン』。気分に応じて3作が並びます。
「頑張れと言わずに横に座ってくれる感じ」「数十年単位で流れる時間が、喪失を静かに肯定してくれる」「孤独だった少年棋士が、川向こうの三姉妹のやさしさに救われていく」。それぞれに、作品の特徴と「なぜこの夜に効くのか」までていねいに添えられていました。
ジャンルでも、巻数でも、ランキングでもありません。「気分」と「シーン」で並べ直されたマンガ棚が、AIのなかにすでに存在していたわけです。
私はマンガDXスタートアップ、コミチの代表を務めています。日々マンガと出版社の方々と向き合っていますが、それでも「しんどい夜に読みたいマンガを教えて」と聞かれて、これほど整理された形でぱっと答えられる自信はありません。
すでにAIは、ジャンルやランキングを超えて、生活のシーンや感情の状態を起点に、マンガを薦めてくれる段階に入りつつあります。気になるのはその先です。AIはいったい、何を見てマンガを選んでいるのか? そして、マンガ産業はその問いかけに長期にわたって応え続ける準備ができているのか。AIが勝手に賢く答えてくれているように見える裏側で、本当は何が起きているのか?
ここを少し丁寧に考えてみたいと思いました。
ウォルマートが「朝食」「ランチ」で冷凍食品を並べた理由
少しマンガから離れて、米国の小売の話をします。
米ウォルマートが「Store of the Future(未来の店舗)」と銘打った新コンセプトの店舗を、テキサス州とカリフォルニア州で展開し始めました。なかでも興味深いのが、冷凍食品売り場の話です。
驚くほどシンプルな変化が紹介されていました。冷凍食品のコーナーが、商品カテゴリー(ピザ、冷凍パスタ、冷凍丼)ではなく、「Breakfast」「Lunch」という生活の時間軸で棚が分類されている、というのです。
ピザはピザのコーナーへ。冷凍パスタは冷凍パスタのコーナーへ。これが従来の冷凍食品売り場でした。それがウォルマートの新店舗では、「朝食(Breakfast)」と「昼食(Lunch)」という生活の時間軸で棚が分かれている。
技術的にすごいことをしているわけではありません。ですが、この分類が意味することは小さくない。「朝食用に手軽で健康的なものを探している」という問いにAIが答えるとき、参照するのは商品名そのものではなく、その商品がどんな生活シーンに登場するものなのか、どんな人が選ぶものなのか、という「文脈データ」なのです。

「これはピザである」というラベルだけでは、AIは「朝食にいい冷凍食品ある?」という問いに答えられません。人がAIに自然言語で話しかけるがゆえに、「これは朝の生活シーンに属する」という意味づけがあって初めて、AIに見つけてもらえます。商品が置かれている棚の場所そのものが、その意味づけを記録するデータの入口になっているわけです。
ウォルマートは、毎日安く売ることをDNAとしてきた会社です。その会社が、わざわざ売り場を編集する理由はひとつ。「自社のDNAを、AI時代にどう機能させるか」を問い直しているからにほかなりません。
実は、マンガ雑誌こそが「資料室」だった
さて、マンガに戻ります。
書店のマンガコーナーを思い浮かべてみてください。少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ。あるいは出版社別、作家別、巻数順。ジャンルや雑誌の名前で棚が分かれていて、目的の作家やシリーズを探しに行く。そんな並べ方が一般的です。
その棚の前で、ふと「しんどい夜に読みたいマンガある?」と聞いてみたらどうでしょう。少年マンガの棚も、少女マンガの棚も、その問いには答えてくれません。冷凍食品の売り場とまったく同じ構造です。
ジャンルや作者・雑誌名というラベルの上に、「眠れない夜にちょうどいい」「梅雨の朝に背中を押される」「久しぶりの連休にじっくり浸れる」といった意味づけが乗っていなければ、AIにも見つけてもらえないのです(もちろんテーマに応じたマンガの棚づくりをしている書店さんもあります)。
では、その意味づけを誰がやるのでしょうか。
少しだけ別の世界の話をさせてください。最近の軍事の現場でAIがどう使われているかを解説した記事を読んでいて、面白いたとえ話に出会いました。
世界中からバラバラに集まってくる衛星画像、通信記録、各種データベース。これらを「この人物はこの組織に属していて、この場所にいて、この通信に登場している」というふうに、関係性のネットワークとして整理するプラットフォームがあります。米パランティア(Palantir)という会社のサービスです。そしてその上に乗るAIが、整理されたデータから推論し、報告書を書く。
両者の関係を、ある解説はこう表現していました。プラットフォームは「編集部の資料室・校閲システム」のようなもの。世界中から集めた情報を整理し、関連づけ、アクセス権を管理する基盤です。一方のAIは「優秀だけど社内事情を知らない外部の分析者」のようなもの。資料室から渡されたデータを読み、パターンを見つけ、シナリオを検討し、報告書を書く。ただし、資料室が渡さない情報には、AIはアクセスできません。
このたとえに、私は強くうなずきました。
AIは優秀な分析者です。でも、社内事情を知らない外部の人間です。資料室がない場所では、AIはただの一般教養を持った賢い人にすぎない。逆に、整理された資料室を持つ場所では、AIはその領域の専門家のように振る舞います。

これをマンガ産業に重ねるとどうなるか。AIが「しんどい夜に読みたいマンガある?」という問いに気分別の答えを返せるのは、誰かが事前にマンガを意味づけし、整理した資料室があるからです。資料室がなければ、AIは一般教養レベルの答えしか出せません。
マンガにおけるその資料室の役割を、長らく担ってきたのはマンガ雑誌の編集部だった、と私は考えています。
マンガ雑誌は、ただ作品を集めただけの媒体ではありません。「この雑誌に載っている作品群は、こういう読者の、こういう気分に届くものだ」という意味づけそのものです。読者は雑誌を手に取ることで、知らないうちに自分の気分にフィットする作品群へとたどり着けた。雑誌の名前そのものが、意味づけされたマンガの棚として機能していたわけです。
ここまでくると、いまマンガ産業に必要なことが見えてきます。マンガ雑誌よりもっと細かい単位で、ひとつひとつの作品に「しんどい夜に効く」「卒業前夜に染みる」「徹夜明けにスカッとする」といった意味づけを、データとして付け直していくこと。長年マンガ雑誌の編集部が丹念に磨いてきた感性を、データの力で何倍にも豊かにしていくことです。
コミチがやりたいのは、もっとシンプルなこと
私たちコミチがやろうとしていることは、まさにここに重なります。
これまで出版社・電子書店・SNS・アニメ・グッズと、マンガ作品をめぐるデータは、産業のあちこちにバラバラに存在してきました。読了率、PV、課金、SNSのリアクション、ファンダムの熱量。どれもがマンガの価値を語る重要な材料なのに、産業を横断して評価することがほとんどできていません。
コミチはこれらのデータを束ね、マンガ作品ひとつひとつに「意味」の輪郭を与える基盤をつくっています。連載を続けるか、映像化に向かうか、商品を出すか、海外に展開するか。そうした作品の展開に関する意思決定の、ちゃんとした根拠になるデータ基盤です。

でも、本当にやりたいのは、もっとシンプルなことです。
「しんどい夜に読みたいマンガ」「月曜の朝に元気が出るマンガ」。そんな問いに、マンガ産業全体として応えられる状態をつくること。マンガ雑誌の編集部が長年大切にしてきた感性を、データの力で何倍にも豊かにしていくこと。
それが、AIに選ばれるマンガを増やすことであり、日本のマンガを世界の読者へ届ける条件でもあると、私は信じています。
棚の前に立つ読者に、「これがあなたの今夜のマンガですよ」と差し出せるかどうか。マンガ産業のいちばん根っこにある、作品を読者に手渡す仕事を、もう一度問い直していきたいと思っています。





