うつ病や適応障害になるとき
「倒れる」「潰れる」という言葉がイメージされやすいが
実際はその前に何百回も小さく「消える」感じがある。
新卒で入った会社で、私は日夜仕事に励んでいた。理不尽な言葉を浴びたり、もやもやする出来事が重なったりしても、いちいち気にしてなんていられない。それが「社会」だと捉えていた。
打たれ強くなりたいと思っていたし、大変なことがあっても笑っていようと思った。なぜなら、周りにいた上司や先輩が、そうやって生きていたから。
とにかく数字(売上)を取ろうとした。深く考えずに。
数字を取れる人間になる。稼げる人間になれたら、自分も幸せになれる気がしたし、成長を感じられる気がした。そして、「そうなれない」のであれば、不幸だと無意識に思っていた気もする。
そんななか、私はある日の出勤途中、アスファルトの上に倒れ込んでしまった。救急車で運ばれ、「うつ病」と診断された。ただ果たして、私はその瞬間にうつ病になったのだろうか。
倒れた当時、私は「頑張れなくなった」と思っていたが、実際は、「頑張っている自分を信じられなくなる」気持ちが先にあった気がする。
あの頃、私はずっと何かを飲み込み続けていた。
会社で「これは違う」と感じても、口には出さなかった。「本当はこうしたい」という気持ちに、気づかないふりをした。
それは弱さではなく、「適応する力」だったのかもしれない。でも、その積み重ねの中で、少しずつ「自分」が薄くなる。
その過程はとても静かだった。身体にいきなり異常が出たりはしない。心も、「人は誰しも落ち込むことはある」という考えのもと、動いてくれた。
ただ徐々に、自分が今どう感じているか、疲れているかがわからなくなった。
いや、それどころか、
「苦しいこと」「疲れていること」を自分で認めないように遠ざけていた。その状態を受け止める体力がなくなっていたのだ。自分の状態を認めたり、受け入れたりするためには、“それ用”の体力がいる。
ただ、その体力も、全部、会社へ私は注ぎ込んでしまった。
そうして身体の体力、心の体力も底を尽きていたのに、仕事ができてしまった。ネジを巻いて動きだす玩具のようだった。勢いよく最初の頃に巻いたぶんがあるから、その流れで動けていただけにすぎず、もうとっくに「うつ病」になっていただろう。
どんどん無理が溜まって、過労で倒れていた。心が潰れていた。もっと手前から始まっていたのだ。
そういう状態になかなか気づけず、私は20代のほとんどの間、「自分の頑張りが足りないのだ」と思い込み、うつ病と適応障害で潰してしまった。
ただ現在の私は、ある一つのことを意識し始め、30代をすこやかに生きられるようになった。
その意識とは、自分の外側で生きないこと。
「どうしたいか」ではなく、「どう見られるか」で動き続けるとき、人は少しずつ自分の外側に住み始めてしまう。
自分の感覚より、他者の視線の方が現実になる。徐々に内側が空洞になっていても、外側(他者の評価)が保たれていれば、問題ないと思えてしまう。
ただやがて、「どうしたいか」という問い自体が完全に消える。
問わなくなったことにも、気づかなくなる。これが、「自分が消えていく」ということの正体だったと、今は思う。
私たちは働く上で、周囲の期待に合わせることは最低限必要だろうが、防衛的な仮面——いわゆる『偽りの自己』で居続けてしまえば、期待に応えられたとしても、それを喜ぶべき「自分」がどこにもいなくなってしまう。





