「愛こそが大事」と言う人たちに、一つだけ聞きたいことがあります。
このゴールデンウィーク、あなたは一銭も使わなかったのですか?
家族や友人と旅行に行ったり、BBQ をしたり…
それだけで、この議論はもう終わっています。
愛が大事だと言う人たちの言いたいことは分かります。人間関係の温かさこそが人生に意味を与える、その感覚は嘘ではありません。
ちなみに、私には5人の子供がいます。毎朝、彼らの顔を見るたびに「この子たちのためなら命だって差し出す」と思います。愛の力なら誰よりも理解しているつもりです。
だからこそ、言います。「お金」こそが、その愛を守るのだと。
「愛さえあればいい」論の致命的な矛盾
「愛優先」の人たちは気づいていません。
あなたの主張は、すでにお金の土台の上に成り立っているのです。
子供に「愛している」と言える親は、今夜その子が安全な家で眠れることを知っています。明日学校に行けることを知っています。病気になれば病院に連れて行けることを知っています。
その「知っている」の正体は、お金です。
お金のない家で、愛だけを注いで育てられた子供を見て、美しいと思いますか?
現実を見てください。子供から選択肢を奪い、可能性を潰し、それでも「愛している」と言う行為を、私は愛とは呼びません。それは愛の名を借りた無力に過ぎません。
「愛はお金より大事」と言える人の正体
これが問題の核心です。
お金の問題をすでに解決している人だけが、「愛はお金より大事」と言えるのです。
衣食住が保証され、病気になれば病院に行け、子供を学校に通わせられるという土台に立って初めて、「愛が大事」という言葉は意味を持ちます。
その言葉は哲学ではありません。余剰の宣言です。
本当の貧困に追い込まれた人が、愛だけで生きようとしたらどうなるか? 愛は現実の前で粉々に砕け散ります。
夫婦仲の悪化、子供への八つ当たり、家庭崩壊…
統計は、経済的困難が引き起こす悲劇を冷徹に示しています。「お金がなければ愛は壊れる」のではありません。お金がなければ、愛を維持する構造そのものが消え去るのです。
結論:愛とは、お金の「使い道」に過ぎない
私は愛を否定しているわけではありません。ただ、愛を正しく位置づけているだけです。
お金が前提条件であり、愛はその後にあるものです。順番を間違えてはいけません。
「愛が一番」と叫ぶ人は、美しいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、現実から逃げているだけです。先にお金を稼ぎなさい。それから話しましょう。
愛優先の人たちに、最後にもう一度聞きます。
もし明日、家族が重病になったら、その医療費を愛で払えますか?
沈黙が答えです。