映画「国宝」の大ヒットで考えたことがある。
それは映画の新しい広告手法が「これで完全に確立された」ということだ。
その兆しは2022年12月に公開された映画「THE FIRST SLAM DUNK」からはじまっている。
「THE FIRST SLAM DUNK」は、いきなり始まった。
一部のファンの中では話題になっていたが、マスメディアには一切露出しなかった。
前評判を煽るTVCMや新聞広告、屋外広告もなく「いきなり公開した」という印象を持った人がほとんどだろう。
評判はじわじわ広がり、結果的に(2022年公開なのに)2023年の興行収入のトップになった。
当時、この「広告しない」という手法は話題になり、2023年のジブリ映画「君たちはどう生きるか」にも引き継がれていく。
映画「国宝」もそうだった。
私も含め、多くの人が「いきなり始まった」という印象を持ったと思う。
ではなぜ、この手法がヒットにつながっていくのか。
(もちろん作品自体が素晴らしいことは大前提として)マーケティングの観点からもう少しツッコんで考えてみたい。
キーワードは「情報のファーストタッチ」だ。
◾️異例の手法から企業の戦略へ
少し前のことだが思い出してほしい。
あなたは映画「国宝」をどうやって知っただろうか。
私の周りでは「SNSで友人が観ているのを見て、知った」という人が多かった。少なくとも私はそうだった。
フォローしている2〜3人が同じ映画を観ているものだから、ネットで調べてみた。
吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、寺島しのぶ、田中泯、永瀬正、、、
という名だたるキャストを見て「なんでこのクラスの映画が、いきなり公開しているんだ」と驚いたことを覚えている。
それと同時に「大々的な事前広告をやらない」ということが、企業としての戦略であるようにも感じた。
「THE FIRST SLAM DUNK」は作者の井上雄彦先生、「君たちはどう生きるか」は鈴木敏夫プロデューサー、という強いカリスマの決定だったからこそ実現できたはずだ。企業側の「広告しないんですか・・・」という不安を押し切った異例の手法だったと思う。
しかし映画「国宝」が、企業戦略として大々的な事前広告をしていなかったとしたら、それはカリスマだからできた異例のやり方が「新しい企業のマーケティング戦略」に昇華した瞬間だった。
◾️情報のファーストタッチを汚さない
では、この時代になぜ「大々的な事前広告をしない」手法が有効なのか。それを説明するには、これまでの広告の常識をおさらいする必要がある。
かつての映画の広告といえば「いかに事前告知で煽るか」が重要だった。
この手法はティザー広告と呼ばれた。ティザー(teaser)には「焦らす」という意味がある。つまり公開前に焦らして焦らして、公開初日にピークを迎えるような設計が正攻法とされていた。
また映画は舶来品(洋画)が前提だったので、
「全米が泣いた」
的な煽りで、日本公開に期待を持たせる展開が当時の当たり前だった。

しかし「全米が〜」がもはやネタになるほど、この手法は陳腐化した。キャッチコピーの表現が古臭くなるだけならまだしも、戦略自体が古臭いものになった。
と言うのも、映画の広告が散々煽っていた時代は「口コミ」がなかった時代だ。評判がここまでリアルタイム性とスピード感を持って拡散することがなかった。
だから初速MAXでよかった。
中身はどうあれ「とりあえず煽っておけば評判になる」と考えて、戦略が設計されていた。期待外れだったとしても、それは見た人にしかわからない。1人の感想が、そこまで大きな影響力を持っていなかったのだ。
だから広告は「煽り」を続けた。そして煽り続けている間に、広告は自らの信用力を失っていった。

広告が信用力を失う間に、「口コミ」はその信用力を増していった。
企業の広告が言っているなら信頼できないけど、身近な友人が言っているなら信用できる。
いつしかそれが当たり前になった。
同時に重要になったのが、情報接触の順番だ。
つまり「最初に知ったのは誰からか?」
という情報のファーストタッチに重きが置かれるようになった。
これまでは企業(当事者)による広告が情報のファーストタッチになることが多かった。しかし前述のように広告は信用力を失っている。そんな時代に「最初に知ったのは企業の広告」という情報は信頼されにくい。
そんな時代に発明されたのが「広告しない」という広告手法だ。
公開前に企業(当事者)は情報を発信しない。これにより企業は情報のファーストタッチをコントロールすることができる。

企業が発信しなければ、自然と情報のファーストタッチは口コミになる。
これまでは「口コミが起こらなかったらどうしよう」という不安から企業は広告を行っていた。しかしそれによって情報のファーストタッチが広告になってしまい、結果的にマイナスからのスタートとなっていた。
だったらせめてフラットからのスタートになったほうがいい。そのために唯一企業ができることが「広告しない」ということなのだ。

この手法を取ると、企業は自らのハードルを下げることができる。
これまでは、公開前に散々煽っていたので期待値は募る一方だった。広告を始めた時にはまだ観られないので、生活者は「まだか…まだか…」と公開日を楽しみにしていた。
だからその分、内容が期待にそぐわなかった時にその落胆も倍増した。
しかし広告しない手法なら、それは起こりえない。
公開中の評判がファーストタッチで伝わるので「じゃあ明日行こっかな」と気軽な気持ちで臨むことができる。
そこまで煽られていない分、期待はずれでもガッカリ感は少ない。期待以上だったなら、その興奮がまたSNSの投稿につながるだろう。
私にとっての国宝がまさにそうだった。
広告のために広告しない。
これはシニカルなパラドックスのように思えるが、生活者の新鮮な感想を汚さない努力とも言える。
マークザッカーバーグは言った。
「広告費というのは、企業がつまらないサービスやプロダクトをつくったことに対する罰金である」
企業は広告宣伝に頼るのではなく、コンテンツの質を上げることに集中する。
そんな当たり前の戦略が、現代の企業が取りうる唯一真っ当なマーケティング戦略なのかもしれない。






