先日、「まんが日本昔ばなし劇場」が千穐楽を迎えました。
たくさんの方に足を運んでいただき、本当にありがとうございました。
客席を見ながら、改めて感じたことがあります。
放送開始から50年。それでも「まんが日本昔ばなし」は、今もたくさんの方の心の中に生きている。
そして舞台公演を終えた今、皆さまにお伝えしたいことがあります。 私たちは、なぜ今「まんが日本昔ばなし」をもう一度動かしているのか。
少し長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
私も、子どもの頃に「まんが日本昔ばなし」を見ていました。
テレビの前には家族がいて、夕飯があって、何でもない一日がありました。
怖い話に震えたり。悲しい話に胸を締め付けられたり。
面白い話に笑ったり。そして最後には、エンディング曲を聴く。
当時は、作品に込められた意味など考えていませんでした。
でも今、一話一話を見返し、当時のフィルムや素材に触れ、制作に携わった方々の仕事を知れば知るほど、強く感じることがあります。
これは、単なる「懐かしいアニメ」ではない。
人を思いやること。約束を守ること。欲張らないこと。
食べ物を粗末にしないこと。自然を畏れ、敬うこと。
目には見えないものにも心を配ること。
私たち日本人が長い時間をかけて受け継いできた「日本の心」が、一本一本の物語の中に残されています。
「まんが日本昔ばなし」は、決して優しい話ばかりではありません。
怖いものは、本当に怖い。
悲しいものは、悲しい。
正しい人が必ず報われるわけでもなく、すべての物語が幸せに終わるわけでもありません。
人間の欲深さや愚かさ。自然の恐ろしさ。命の儚さ。
子ども向けだからといって、ごまかすことなく描いています。
例えば、「まんが日本昔ばなし」には、たくさんの鬼が登場します。
私たち日本人が「鬼」と聞いて思い浮かべる、角があり、牙があり、恐ろしい存在。もしかすると、その姿をこの作品を通じて心に刻んだ方も多いかもしれません。
でも、改めて作品を見ると、鬼は必ずしも単純な「悪」ではありません。
恐ろしい鬼もいる。人間を困らせる鬼もいる。
どこか憎めない鬼もいる。
人間より情の深い鬼もいれば、悲しみや寂しさを抱えた鬼もいる。反対に、人間の欲や傲慢さの方が、よほど恐ろしく描かれることさえあります。
「鬼だから悪い」「人間だから正しい」
そんな単純な答えにはしない。
相手には相手の事情がある。
見えているものだけが、すべてではない。
善と悪の間には、簡単には線を引けないものがある。
私たちは子どもの頃、それを倫理や道徳として教えられたわけではありません。
物語を見て、怖がって、笑って、悲しんで。
知らないうちに感じ取っていたのだと思います。
今の日本に目を向ければ、心を痛める事件や犯罪、そして大きな災害のニュースを目にすることがあります。
50年前と今では、社会も暮らしも大きく変わりました。
でも、そんな出来事を目の前にした時、私たちは日本人として、どう向き合うのか。
自分には関係のない出来事として通り過ぎるのか。
画面の向こう側にいる誰かの悲しみを想像するのか。
困っている人がいれば、手を差し伸べる。
被害に遭った人の痛みを想像する。
誰かを傷つける前に、その人にも家族や大切な人がいることを考える。
災害が起きれば、自分だけではなく、隣にいる人のことを考える。
自然の力を畏れ、命は決して当たり前に明日まで続くものではないことを知る。他人事にしない。誰かの立場に立って考える。
それは法律やルール以前に、人が人と共に生きていくために必要な倫理観なのではないでしょうか。
「まんが日本昔ばなし」は、そんなことを「こうしなさい」と教える作品ではありませんでした。
欲に負けた人間がどうなるのか。
約束を破った人間が何を失うのか。
誰かに優しくしたことで、巡り巡って何が返ってくるのか。
自然を侮った人間が、その大きさを思い知らされる。
時には救いのない結末さえ、そのまま子どもたちに見せる。
そして、見終わった私たち自身に、「自分だったら、どうするだろう」
と考えさせる。
私たちは子どもの頃、そうした物語を通じて、人としてどう生きるのかを、知らず知らずのうちに考えていたのかもしれません。
今は、情報も娯楽も溢れています。
スマートフォンを開けば、次から次へと新しい映像が流れてくる。
AIに聞けば、知りたいことの答えもすぐに返ってくる。
本当に便利で、素晴らしい時代です。だからこそ、
答えを教えるのではなく、心で考えさせる物語が、今の時代にも必要なのではないか。私はそう思います。
50年前の作品だから残すのではありません。
50年経った今も、私たちに必要なことを問いかけてくる作品だから、残したいのです。最初は、私自身も「もう一度届けたい」と思っていました。
でも、この作品に関わり、一話一話と向き合えば向き合うほど、その気持ちは少しずつ変わってきました。
「届けたい」ではなく、届けなければならない。
今は、そんな使命感に近いものを感じています。
そして、その想いは今、私一人のものではありません。
私たちは、この作品を次の世代へ残し、もう一度皆さまへ届けるために、少しずつ動き始めています。
ただ、この作品を未来へ残していくためには、大きな現実があります。
「まんが日本昔ばなし」には、今もまだデジタル化されていない貴重なフィルムや素材が数多く残されています。フィルムは永遠ではありません。
時間とともに劣化していきます。
失われてしまえば、二度と取り戻すことはできません。
その一本一本を確認し、必要な修復を行い、映像と音を整え、現代の環境で見られる状態にしてデジタルアーカイブしていく。
そこには、膨大な時間と莫大な費用が必要です。
だから私たちは、この作品をもう一度動かしています。
舞台、イベント、作品配信。そして、皆さまから本当にたくさんのご要望をいただいてきたグッズ化。
ここで、少しだけこれからのお話をさせてください。
今秋には、これまでデジタル化してきた「まんが日本昔ばなし」の作品を、皆さまに存分に観ていただけるよう、VODサービスの準備を進めています。
子どもの頃に観た、あの懐かしい物語をもう一度。
ずっと探していた、あの一話をもう一度。
そして、これまで出会う機会のなかった物語との、新しい出会いを。
今度は、お子さんやお孫さんと一緒に。世代を越えて同じ物語を見ながら、
「この話、お父さんも子どもの頃に見たんだよ」
「おばあちゃんも、この話を知っているよ」
そんな会話が、もう一度日本の家庭に生まれたら。
私たちは、とても嬉しく思います。
さらに、これまで皆さまからいただいてきた、
「グッズが欲しい」「昔の商品をもう一度出してほしい」
「作品を身近に感じられるものが欲しい」
という声にも、少しずつお応えしていきたいと考えています。
オリジナルグッズなどを皆さまにお届けできる公式ECサイトの立ち上げについても、現在検討を進めています。
舞台、イベント、放送配信、VOD、グッズ。
これから少しずつ、「まんが日本昔ばなし」の新しい展開を皆さまへお知らせしていきます。ただし、これは単に商品を販売したり、映像を配信したりするための事業ではありません。私たちには、その先に実現したい未来があります。
ここは、皆さまに明確にお伝えします。
「まんが日本昔ばなし」から生まれる収益の全てを、作品の保存・継承活動へ還元します。
まだデジタル化されていない貴重なフィルムを、一本でも多くデジタルアーカイブする。より良い状態で、次の世代へ残す。
そして、日本の素晴らしい物語を世界へ届けるため、多言語化にも取り組んでいく。作品から生まれた価値を、作品の未来へ戻していく。
そんな循環を、皆さまと一緒につくりたいと思っています。
皆さまがグッズを一つ手に取ってくださること。
VODで一つの作品を観てくださること。
イベントに足を運んでくださること。
YouTubeで一本の作品を観てくださること。
この活動を誰か一人に伝えてくださること。
一つ一つは、本当に小さなことかもしれません。
でも、その小さな応援が集まれば、まだフィルムの中で眠っている一本の作品を、未来へ残すことができる。
私たちは、そう信じています。
そして、私たちがこの作品を世界へ届けたいと考えているのには、もう一つ理由があります。
今、海外で日本のアニメやコンテンツを愛してくださる方々の中には、作品をただ「見る」だけではなく、その背景にある日本文化や精神性まで知ろうとする人たちがいます。
なぜ日本の物語には、これほど自然や神々、鬼、そして怪談が存在するのか。なぜ怖い話や悲しい話を、子どもたちにも伝えてきたのか。
なぜ単純な善と悪だけでは終わらないのか。
なぜ食事の前に「いただきます」と手を合わせるのか。
なぜ自然や、目には見えないものにまで畏れと敬意を抱くのか。
日本の作品に魅了された海外のクリエイターやファンが、その表現だけではなく、その奥にある「なぜ?」を探求し、日本人が大切にしてきた心や文化そのものを知ろうとしている。
私たちは、そこに大きな可能性を感じています。
日本のアニメやコンテンツが世界で評価されるということは、単に作品が売れることだけではないと思うのです。
一つの物語との出会いから、その国の文化を知る。
文化を知ることで、その国の人々が何を大切にしてきたのかを知る。
そして、そこからまた新しい理解や、新しいつながりが生まれていく。
その源流の一つとして
「まんが日本昔ばなし」を、世界中の人たちに届けたい。
同じ「鬼」であっても、ただ倒すべき悪として描くのではなく、恐ろしさの中に悲しみや人間らしさを描く。
怪談を通して、説明のできないものへの畏れや、自然の恐ろしさを伝える。
山や川、木々にも命や心を感じる。
幸せな結末だけではなく、時には理不尽さや悲しみも、そのまま子どもたちに渡す。なぜ日本人は、こういう物語をつくり、語り継いできたのか。
その「なぜ?」の先に、日本人が長い年月をかけて育んできた価値観や精神性があるのだと思います。
50年前の日本人が残した物語に、世界中の人たちが触れた時、
そこから日本という国や、日本人が大切にしてきた心を知ってもらえるかもしれない。
そして、その出会いから、国や言葉を越えた新しい理解や、新しい文化のつながりが生まれるかもしれない。
日本の作品を世界へ届けることは、日本の心を一方的に伝えることではありません。
世界の人たちに日本の文化を知ってもらい、そこからまた新しい理解や交流が生まれていく。
そんな文化の循環までつくることができたら。
それもまた、この作品を世界へ届ける意味の一つだと考えています。
そして、その未来をつくるために、AIをはじめとする現代の技術も使います。AIは非常に便利です。これからさらに進化していくでしょう。
でも、人間が50年前に手で描き、声で演じ、汗をかいてつくったものを、AIに置き換えたいわけではありません。
むしろ逆です。
人間が残したものを守るために、AIを使いたい。
映像を守る。声を守る。絵を守る。物語を守る。
そして、言葉の壁を越える。AIを目的にするのではなく、文化を残すための手段として、現代の技術と共存する。
それが私たちの考えです。世界に届けたいのは、映像だけではありません。
その奥にある、日本そのものです。
自然を敬う心、食べ物を大切にする心。
人への思いやり、家族、地域、伝承。
目に見えないものを感じる感性。善と悪を簡単に二つに分けない価値観。
「まんが日本昔ばなし」には、日本人が長い時間をかけて受け継いできたものが、たくさん詰まっています。
日本の心を、世界へ届けたい。そして同じくらい、
令和の日本の子どもたちに届けたい。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。
世代を越えて同じ物語を見て、同じ食卓で、
「この話、昔見たんだよ」と話してもらいたい。
そして、私たちの仕事は保存だけでは終わりません。
考えてみれば、「まんが日本昔ばなし」も最初から「昔のアニメ」だったわけではありません。当時の制作者たちが、その時代を生きる子どもたちのためにつくった、新しい作品でした。
ならば、私たちにもできることがあるはずです。
昭和から平成、そして令和へ。暮らしは変わりました。
家族の形も変わりました。
子どもたちを取り巻く環境も大きく変わりました。
それでも、人を思いやること、命を大切にすること、自然を敬うこと。
誰かと一緒にご飯を食べられる幸せ。
そうしたものの価値は、変わらないはずです。
だから、いつの日か、令和を生きる子どもたちのための、新しい「まんが日本昔ばなし」をつくりたい。
昔の作品を作り直すのではありません。
50年前の制作者たちが子どもたちへ託した心を受け継ぎながら、今を生きる私たちだからこそ伝えられる、新しい物語をつくる。
そして、その作品を見た令和の子どもたちが大人になった時、
「子どもの頃、家族と一緒にあの話を見たな」と思い出してくれたら。
それが、私たちが見たい未来です。
50年前、テレビの前で「まんが日本昔ばなし」を見ていた一人の子どもだった私も、知らないうちに、この作品からたくさんのものを受け取っていたのだと思います。
日本人として大切にしたい心を。
だったら、今度は私たちの番です。私たちが受け取ったものを、令和の子どもたちへ。
日本から、世界の子どもたちへ。そして、その先の50年へ。
50年前の日本人が、私たちに残してくれたものを、50年後の子どもたちへ。
過去を守る。世界へ届ける。そして、新しい物語を生み出す。
一人の力は、小さいかもしれません。
でも、一人ひとりの小さな応援が集まれば、
一本のフィルムを救えるかもしれない。
一つの日本の物語を、50年後まで残せるかもしれない。
皆さまと一緒に、そんな未来をつくっていきたいと思っています。
「まんが日本昔ばなし」を、次の50年へ。
日本の心を、令和の子どもたちへ。そして、世界へ。
その未来を皆さまと一緒に迎えるために、私たちは今、その準備を進めています。懐かしい物語との再会を。そして、これから生まれる新しい物語との出会いを。
私たちが思い描いてきた未来への第一歩を、9月には皆さまへお知らせできると思います。
放送開始から50年。
長い時を越えて受け継がれてきた「まんが日本昔ばなし」が、また新しく動き始めます。
もうしばらく、お待ちくださいませ。
愛企画センター





