高校のとき先生に言われた言葉をいまだに覚えています。
「結婚できるかどうかはその人のうんこを手で持てるかや」
実にしょうもない。なのに他にどんな話をされたかはほとんど忘れているのにこの一言だけはなぜかずっと覚えています。
最近になってその理由が少しわかったような気がしています。結婚というのは誰と一緒にいたいかで考えることではないということです。
その人のうんこを持てるか。汚い話かもしれませんが、人と長く暮らすことを考えると核心を突いてるような気もします。
恋愛している間は相手と自分の間に選べる時間があります。会いたい日に会い会いたくない日は一人でいる。機嫌が悪ければ連絡を返さなくてもいいし体調が悪ければ寝てから会えばいい。相手に見せる自分をある程度選ぶことができます。
ですが一緒に生活をするとなるとその選択肢はどんどんなくなっていきます。疲れて帰ってきた日も同じ家にいて、自分が何も話したくない日であっても相手が何かを話したがるなら耳を傾けなければなりません。
一緒に暮らす時間が長くなるほど、相手の好きになるために必要だった部分より、別に好きではないけれどその人には含まれている部分と過ごす時間が増えていきます。
結婚して何十年も経ったあとまで最初に好きになった理由だけで暮らせるとは限りません。見た目も変わるでしょうし性格だってライフステージに合わせて変わっていきます。つまり結婚すると好きだった人と暮らし続けるわけではないんです。好きになったときにはまだ知らなかった相手と何度も暮らし直すことになります。
そのたびにこの人なら一緒にいたいと思えるか。
長く一緒にいればいるほど好きという感情が役に立たない日の割合が大きくなります。今日は腹が立っていて正直優しくできる余裕なんてなくてもそれでも相手が困っていれば手を貸さなければなりません。こういう日を何度も越えていくことで恋愛とは違う関係になっていきます。
結婚にはこの人をずっと好きでいられるかが必要なのだと思っていましたが、今は好きでいられない日にもその人を大切にできるかのほうが大事だと思っています。
好きという感情は自分の中で起きますが大切にするということは行動なので、自分で選ばなければなりません。腹が立っている日に言わなくていい一言を飲み込めるか。面倒に感じている日にそれでも一度相手の話を聞けるか。何年も暮らせばこういう日のほうが関係を決めていくのでしょう。
ここまでは相手のうんこを持つ話ばかり考えていましたが反対もあります。
自分のうんこを持ってもらう日が来るかもしれません。自分がずっと元気で相手を支えられるなら格好がつきますが、嫌なのは自分が支えられる側になったときです。
一人でできていたことができなくなり自分の面倒を誰かに頼まなければならない日はやってきます。それは好きな人に一番見せたくない自分を見せることになります。結婚には相手を引き受ける覚悟と同じくらい、自分を引き受けてもらう覚悟も含まれているのだと思います。
そこまで考えると先生の言葉が変わって聞こえ、結婚できる相手というのはものすごく好きな人というより、自分も相手も人間であることを隠さなくていい人だということです。
高校生の頃には当然そんなことまで考えていませんでした。それでも何十年経って、結婚について考えたときに出てくるのはあの一言です。
「その人のうんこを手で持てるか」
表現としては下品かもしれませんが、人を好きになる話では届かないところまで一発で連れていく言葉ではあったんだと思います。
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