若い世代が「旧耐震マンション」を買わされた事例が昨今問題になっています。買って本当に大丈夫なのでしょうか。買った人はどうなったのでしょうか。あくまで創作の話を書きました。
旧耐震マンションとは1981年以前に建築確認が行われたマンションで、震度5程度の地震に耐えられる設計となっています。逆に言えば、それ以上の地震に対しては安全性が保証されていません。
冒頭、強烈な毒がありますが、ここで主人公に怒られているのは私です。
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午前0時5分であった。私はXを見ていた。
タイムラインに、こんなポストが流れてきた。
〈マンション高すぎて買えない。なのに大家から家賃値上げの連絡来て詰んだ〉
わかるわかると思いながらプロフィールをみたら、ポスト主はアラフォーであった。
私は何を腑抜けたことを言っているのか、と思った。
もちろんいまの家は高い。高すぎる。マンション価格は都民の給料を置き去りにして、勝手にエレベーターで上がっていった。こちらはまだ1階のホールで呆けた顔で待っているのに、価格だけは最上階のラウンジでシャンパンを飲んでいる。それでも、アラフォーのおじさんが「買えない」と言うのは違うだろうと思った。
あなたたちはいくらでも買うチャンスがあったではないか。
コロナ前なら、普通の会社員でも、2馬力でなくても、23区内で3LDKが買えた。もちろん豪邸ではない。駅直結でもない。港区のタワマンでもない。だが、ちゃんと家族で人間らしく住める部屋が買えた。
パワーカップルなら、都心3区だって手が届いた。港区、千代田区、中央区。いまでは地名そのものが金融商品のようになっている場所に、あの頃ならまだ、人間として入れた。
買えない?
違う。
あなたは買わなかったのだ。
高値づかみを恐れ、暴落説を信じ、人口減少や空き家増加予測のニュースに怯えた。オリンピック終了で下がる、金融緩和が終われば下がる、そう信じて待っていたのだろう。
待っているうちに、扉は閉まった。
それを今さら、買えない、と言う。
私はそのポストを見て、少し腹が立った。いや、かなり腹が立った。なぜなら、私たちの世代は本当に違うからだ。
私が入社した2022年には、もう高騰の入口だった。
ようやく仕事にも慣れ、源泉徴収票がそれらしい形になり、銀行に「この人なら住宅ローンを組ませてもよいかもしれない」と思われるようになった2025年には、価格はもう私の与信の遥か上を飛んでいた。
空を飛んでいた。
こちらが手を伸ばしても、ジャンプしても届かない。親の援助があれば届く人もいる。2馬力なら届く人もいる。外資や商社や医者なら届く人もいる。だが、年収600万円のJTCの若手社員が、普通に働いて、普通に節約して、普通に買える家は、都心から消えていた。
最初から扉は閉ざされていたのだ。
私たちは、開いていた扉を見送った世代ではない。
閉まった後の扉の前に配属された世代なのだ。
私は某通信会社勤務で、年収は600万円。
悪くはない。しかしその程度なら、もう東京でまともな生活はできないのである。
しかし、資本主義は、円安は、インフレは、私たちを置き去りにしてどんどん前に進んでいく。半年前に買えたマンションがもう買えない。SUUMOを起動するたびにトンデモ価格に目を疑う。画面下部から顔を覗かせる、緑の綿毛のお化けに笑われているような気持ちになった。
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耳にタコができるほど聞いたピケティの理論。本は読んでいない。でも主旨は知っている。ひとことで言えば、労働より投資のほうが儲かる。投資をしなければ取り残される。
ピケティよ。じゃあ訊くが、その元手はどこにあるんだ。資本主義の入口に入ったばかりの者に投じるべき資本などない。三井住友銀行に入っているなけなしの200万の貯金を投資して年7%増やしたところで、たった14万円だ。いったいどうしろと?
そんな絶望的な状況に立たされた20代はどうするすべきか。
その答えを提示してくれたのが、リリカだった。
*
リリカ@不動産インフルエンサー。
34歳。港区在住。某世界的な外資IT企業勤務。25歳で港区の築古1LDKを買い、2年後に売って1000万円儲け、それを頭金にしてタワマンの広い部屋を買った。コロナ後の相場に乗って高値で売り抜け、いまは麻布十番のタワマン3LDK80㎡と、月島と大阪のタワマン2LDKを投資用として保有している女。
という「設定」の女である。
しかしその時の私はそれを頭から信じていた。ありえなくもない経歴だけど、よく考えれば真実かどうかは全く分からない。
ただ、インスタのリールに出てきたリリカの主張には説得力があった。
インフレ時代に20代はどうするべきか。その答えは明確だった。
「日本円の価値はどんどん落ちていくのだから、借金をして投資をしろ」
方法論もわかりやすかった。
「株を買いたいからといってお金を貸してくれる銀行なんてある? 貸してくれるのは不動産にだけ」
確かにそうだった。ではどんな不動産を買えば良いのか。
「日本は沈没する。沈没しないのは東京の都心。今すぐ都心3区、できれば港区の1LDKを買う。築古なら買える」
こうも言って背中を押してくれた。
「リスクを取らない人は死んでいく」
死ぬのか、と思った。
「一生ボロ賃貸でいいの?」
嫌だ、と思った。
「インフレ時代に投資しない人は、下層に落ちていく」
私は下層に落ちたくなかった。しかし、すでに落ちかけている気がしていた。新卒で入った会社は大手で、親も喜んだ。大手通信会社。安定。福利厚生。会社名を言うと、親戚のおじさんが「いいところ入ったな」と言う。だが、港区のタワマンに住むことはできない。麻布十番で鮨を食べ、漆黒のカードで払うこともできない。リリカのインスタには、それがあった。
夜景。ワイングラス。予約困難レストラン。ラスベガスのスフィア。アマンの朝食。ミニチュアシュナウザー。なぜかいつも窓際に置かれている花。
そして、鼓舞してくれる文章。希望をくれる文章。
「私は特別な才能があったわけじゃない。ただ、25歳で一歩踏み出しただけ」
これが私の胸の真芯を捉えた。
リリカのプロフィール欄には、こうある。
「港区築古から人生を変える」
「20代で資産形成」
「賃貸卒業コミュニティ」
「本気の人だけLINEへ」
私は本気になりたかった。だからLINEオープンチャットに入った。
そこは熱かった。熱いというより、湿っていた。スマホの画面が閲覧者の荒い鼻息で湿っていた。毎朝、誰かが「今日も資産形成がんばります」と投稿する。別の誰かが「昨日、内見してきました。震えました」と書く。なぜ震えるのか。地震か。いや、違う。人生が変わる震えであるらしい。
リリカは頻繁に降臨した。
「迷ってる時間が一番高い」
「買えない理由を探す人は、一生買えない」
「旧耐震とか築古とか、表面的なラベルに騙される人は本質が見えてない」
「港区アドレスは裏切らない」
港区アドレスは裏切らない。私はその言葉をスクショした。
今思えば、港区アドレスは裏切らないのではない。人間が勝手に港区アドレスに救済を求め、勝手に裏切られた気になるだけである。アドレスはただの住所だ。東京都港区どこそこ何丁目何番何号。行政が決めた区画である。建物の質は無視して、区画にだけ希望を見たのは私だった。
*
ある日、オープンチャットにリリカから物件情報が流れてきた。
港区、麻布十番徒歩10分。築50年超。1DK。リノベ済み。価格X万円。
写真はきれいだった。白い壁。グレージュの床。濃いグレーの面材のキッチン。部屋の狭さは、広角カメラが隠していた。築50年超という文字は、港区という文字の後ろに隠れていた。旧耐震という言葉は、リノベ済みという言葉の下に沈んでいた。
「ついに、出ました」
リリカが書いた。
「正直、私が欲しいくらい」
欲しいくらい。
それを読んだ瞬間、私は心拍数が上がった。リリカが欲しいくらいのものを、私が買えるかもしれない。これはすごい。これはチャンスだ。チャンスの女神は前髪しかない。ザビエルもびっくりの髪型だが、手を伸ばさなければ。
しかし、グループの中に1人だけ冷静な人がいた。
「旧耐震ですよね。出口どう見るんですか?」
その人はそう書いた。すると空気が変わった。
「出た、買えない理由探し」
「そういう人は一生賃貸」
「港区の築古を表面でしか見られないの、もったいない」
「リリカさんの実績見てないんですか?」
リリカも書いた。
「〈本質〉を見ましょう。怖い人は無理しなくていいよ。ただ、私は怖がって何もしない人が資産を作った例を見たことがないけどね」
その冷静な人は、しばらくしてグループから消えた。
追放されたのである。
私はその時、なるほど、覚悟のない人は退場するのだ、と思った。今思えば、商売に邪魔な人が消されただけである。
檻の中に残されたのは、私のような、焦りと表面的な金融知識を持った若い会社員たちだった。ピケティの本を開いたことがないどころか、ベストセラーとなった彼の本の名前も答えられないような。
不動産仲介の担当者は感じがよかった。
「この物件、普通は出ないです。港区でこの価格はかなり希少です」
希少。
「リノベも入ってますし、すぐ住めます」
すぐ住める。
「将来、貸すこともできます」
将来。
「インフレ時代は、現物資産を持つ人が強いです」
現物資産。私は借金をしてそれを買った。住むという実用価値のある投資商品を。
正直に言えば、私はリリカのきらびやかな生活に憧れたのではない。これは強がりでも自己弁護でもない。どちらかというとマーケティングなら古いと思っていた。10年前のネットワークビジネスや情報商材を売る人みたいだとも思った。
そんな生活がしたいわけではなかった。私はただ怖かったのだ。
「普通の生活」すらできなくなるのではないかと。
父はかつて23区のはじっこに一軒家を買った。広くはない家だった。外食は月に2回と決められていた。海外旅行は韓国に1度だけ。国内旅行は年に1回、広島の祖父の家だけ。そんな生活レベル。しかし私は、それすらもできなくなるのではと怯えた。
いま円安は進み、海外旅行は高嶺の花だ。 インフレのせいでコンビニのおにぎりを買うのはファミペイでクーポンが出たときだけである。
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ピケティの公式。FOMOと笑いたいやつは笑え。取り残される恐怖には手触りがある。
時間がかかったけどローンは通った。
年収600万円でX万円。かなり背伸びである。だが、背伸びしなければ届かないものがある。背伸びしない人生は、最初から縮んでいる。そう自分に言い聞かせた。
契約の日、手は少し震えていた。
売買契約。重要事項説明。管理費。修繕積立金。ローン。金利。返済。登記。印紙。仲介手数料。固定資産税。火災保険。
いろいろ聞いた。 聞いたが、聞こえていなかった。
私の頭の中には、リリカの声が鳴っていた。
「リスクを取らない人は死んでいく」
死にたくなかった。だから押印した。
こうして1年前、私は港区民になった。
部屋は狭かった。1DKと言っても、ダイニングキッチンはダイニングというより、冷蔵庫と人間が譲り合う場所であった。寝室も広くはない。窓からの眺めも、隣のビルの壁である。だが港区である。壁も港区の壁である。そう思うと、ありがたみがあった。
部屋に行くまでの古ぼけたエントランスは見ないふりした。開けるたびに軋む銀色の郵便受けの音は聞こえないふりをした。廊下のチカチカする電球も、いかにも昭和を感じる小豆色の外観も見ないようにした。
*
オープンチャットには「購入報告」という文化があった。
家を買った人がその旨を投稿し、皆がその決断力と勇気と賢明な判断を褒め称える儀式である。
リリカももちろん降臨して称賛してくれる。
あの日、私はワクワクしながら投下する文章を考えていた。
「本日、契約してきました!」
軽すぎる。
「ついに港区オーナーになりました!」
浮かれすぎている。
「怖かったですが、一歩踏み出しました」
これだ。
私は深呼吸した。そして投稿した。
「本日、無事に港区築古1DKを契約してきました。正直、最初は怖かったです。でも、リリカさんの発信や皆さんの行動を見て、このまま何もしない方がリスクだと思いました。25歳でこの決断ができたことを、将来の自分に感謝されるように頑張ります。賃貸卒業です!」
送信した瞬間、心臓が跳ねた。
そして、最初の返信が来た。
「おめでとうございます!!」
次。
「すごい!! 25歳で港区オーナーは強すぎます」
次。
「完全に勝ち組ルートですね」
次。
「行動力が違う」
次。
「同年代です。刺激受けました」
次。
「怖くても動いた人だけが変わるんですよね」
次。
「賃貸卒業おめでとうございます!」
次。
「港区オーナー爆誕」
そしてリリカが降臨した。
「本当におめでとう。25歳でこの決断ができる人は多くありません。怖かったと思います。でも、怖さの先にしか自由はありません。今日の自分を、5年後、10年後の自分が必ず褒めてくれます」
私はその文章を何度も読んだ。
スクショした。胸が熱くなった。
5年後、10年後の自分が褒めてくれる。
その時の私は、5年後、10年後どころか、1年後の自分が査定額を見て会社のトイレで吐きそうになることを知らなかった。知らないから幸せだった。知らないというのは、時に最大の資産である。ただし、それはあっという間に減価する。
*
そして1年が経った。
私には学生時代から付き合っている彼女がいた。
彼女は銀行員だ。私より数字に強い。融資の審査も、住宅ローンも、信用情報も、金利も、私よりたぶんずっとわかっている。穏やかだが、見るところは見る人だった。私は彼女に、この物件を買う前に詳しく相談していなかった。
なぜか。
驚かせたかったからである。
しっかり人生を考えていると言われたかった。r>gの世界で、最初の一歩を踏み出したのだ。リリカのように不動産価格上昇の果実を収穫し、それを彼女の前に差し出したかった。
彼女とはうまくいっていた。ある日、自然と結婚の話になった。
「そろそろ、ちゃんと考えたいね」
と彼女は言ってくれた。
後日、改まったプロポーズをした。リリカが行きつけにしているというレフェルヴェソンス。火入れされた蕪の蕩けるようなスペシャリテや、数十種類の野菜を使ったサラダを経て、京都産の低温調理の鴨胸肉を平らげた後、「結婚しよう」と告げた。彼女ははにかみながらうなずいてくれた。
嬉しかった。結婚。家庭。2人の家。ペアローン。新築マンション。モデルルーム。私は今の1DKを売って、それを頭金にして、彼女と一緒にもっと広い家を買おうと思った。
思った。
気に入ったマンションを見つけて、仲介を通して住宅ローンの審査に出した。
銀行は言った。
「現居の売却が条件になります」
まあ、そうだろう。私の年収でX万円のローンを抱えたまま、さらにペアローンで新しいマンションを買うのは厳しい。売ればいい。港区である。築古とはいえ、港区アドレスは裏切らない。リリカもそう言っていた。
現居を査定に出した。返事が来た。
私はその数字を見て、最初、意味がわからなかった。
思っていたより、かなり低い。
しかも仲介の担当者は言った。
「旧耐震なので、次の買主さんのローンが厳しいんですよ」
「え」
「現金で買える方か、かなり条件の合う方に限られます。価格下げないと売りにくいですね」
「でも港区ですよ」
「港区でも、築50年超で旧耐震だと出口は重いです」
出口。
その言葉が急に実体を持った。私は入口しか見ていなかった。入口にはリリカがいた。漂白された歯で笑い、ブランドバッグを持ち、港区アドレスは裏切らないと言っていた。だが出口には誰もいなかった。暗い廊下だった。灯りがチカチカしていた。私のマンションのうらぶれた廊下のように。
いくつかの会社に査定を取った。
同じだった。 買値が高すぎた。 売れない。 売るなら損が出る。
しかも、その損は小さくない。ざっくり1000万。
私は吐きそうになった。会社のトイレで個室に入り、スマホを持ったまま座った。腹は痛い。だが人生も痛い。これは何科に行けばいいのか。消化器内科か。心療内科か。不動産科か。そんな科はない。あったとしても、私はもう手遅れだった。
彼女に話した。ファミレスだった。
「実は、かなり厳しいかもしれない」
彼女は私を見た。私はすべてを話した。
その間、彼女はずっと黙っていた。
その沈黙は、怒鳴り声より怖かった。
「なんで買ったの」
彼女は言った。
「いや、資産形成というか、インフレで」
「それを勧めたリリカってどんな人」
私はインスタを見せた。
彼女はしばらく黙ってスマホの画面に指をすべらせていた。
やがて彼女は銀行員の顔になった。
「これ、かなり危ないね」
「やっぱり?」
「やっぱり、じゃないよ」
彼女はスマホを置いた。
「まず、この人の実績、証明されてる?」
「いや、でも投稿で」
「投稿は証明じゃない」
「でも、GAFA勤務で」
「GAFAなんて会社はない。それも本当か分からないし、勤務先と不動産投資の実績は別」
「築古を売って1000万円って」
「証拠は出してるの? 出していたとしても本物だと判別できるの?」
私は黙った。
「保有してるっていう築古2つは?」
「投稿では」
「投稿は証明じゃない。本当に買ってるかどうかも怪しいね」
その通りである。あまりにもその通りで、私は目の前のハンバーグを見た。鉄板が載せられた木枠に油が撥ねていた。彼女は続けた。
「この人、紹介料取ってる可能性あるよ」
「え」
「不動産仲介から。あなたが買った価格の何割か」
「まさか」
「まさかじゃない。こういうのは普通にある。4800万円の物件の仲介手数料は3.3%+6万、つまり……ざっくり164万円。両手で328万。そのうち3割もらっていれば……98万円か。だからクローズドサークルで煽って買う気にさせる」
98万円。
私の1年ぶんのボーナスだ。リリカは私が押印しただけで、それだけの金を得ていたのかもしれない。もちろん証拠はない。だが、構造は見えた。
焦る若者。
高騰する不動産。
インスタの成功者。
閉じたオープンチャット。
強い言葉。
疑う者の排除。
割高な築古。
紹介料。
私は食われていた。
「そういうビジネスだね」
彼女はため息を吐いた。
「宗教みたいだったんだと思う」と私は言った。
彼女は眉根を寄せた。
「宗教というか、商売だね」
私の甘えを許さないように、彼女は訂正した。
宗教のような熱狂があったから仕方ない。騙されていたようなものだから仕方ない。そんな私の逃げ道を彼女はきっちりと塞いだ。
「怒ってる?」
私は聞いた。
「怒ってるより、呆れてる」
彼女は言った。そこで終わった。
心配してる、と続くのではないかと私は一瞬思った。思ったが、続かなかった。言葉はそこで切れた。ファミレスの天井にぶら下がっている安い照明の下で、呆れてる、という4文字だけがテーブルの上に置かれた。
「ごめん」
私は言った。
「謝っても仕方ないと思う」
彼女はそう言って、薄いコーヒーを少し飲んだ。
「もう売った方がいい」
「え」
「損が出ても。さらに築年数が経つともっと売りにくくなるから」
それは助言だった。
助言であるが、救済ではなかった。彼女の声は冷静だった。銀行員の声だった。感情でなく、担保評価と流動性と金利を見ている声だった。
もう売った方がいい。損が出ても。築年数が経つともっと売りにくくなる。
その通りだった。正しい。あまりにも正しい。だが正しい言葉というのは、ときどき人間の胸にまっすぐ刺さる。曲がっていないから、深く深く深く刺さる。
私は、もう終わりだと思った。
婚約は破棄される。
当然である。これから2人で家を探し、生活を作っていくはずだった。その前に、私が1人で抱えた港区の旧耐震1DKが、間抜けな蛇のようにずるずると床下から出てきたのである。表層だけのリノベ済み。築50年超。旧耐震。X万円。出口なし。
こんなものを結婚前に差し出されたら、普通は逃げる。
普通の人ならまず苦言を呈して、それから逃げる。
彼女は私に苦言を呈した。それなら次は逃げる番である。
*
夜、私は我慢できずにリリカにDMを送った。
「あなたに勧められて買った物件が、旧耐震で売却困難だとわかりました。そもそも、かなり割高だったようです。紹介料を受け取っていたのではないですか。説明責任があると思います」
送信。
既読はすぐについた。
返信もすぐ来た。
「自己責任」
それだけだった。
自己責任。
漢字4文字。
これほど短く、これほど正しい言葉があるだろうか。
その通りである。
私は自分で問い合わせた。自分で内見した。自分で契約した。自分で押印した。リリカが私の手を持って印鑑を押したわけではない。旧耐震という文字は書類にあった。築50年超という事実もあった。私はそれを重視しなかった。
だから自己責任。
その通りである。
その通りだが、腹が立つ。
その通りだが、悲しい。
その通りだが、お前が言うな、と思う。
私はその夜、ほとんど眠れなかった。眠れないので、スマホでまた査定額を見た。見ても変わらない。旧耐震は旧耐震であり、築50年超は築50年超であり、ローンがつきにくいものはつきにくい。
港区アドレスは、そのしょぼくれた現実を包む高島屋の包装紙でしかなかった。リリカなら笑うだろう。高島屋で買うのは高齢者か田舎者ですよ。買い物は港区の麻布台ヒルズで。
くだらない空想に逃げても現実は変わらない。
このままだと事態はさらに悪くなる。
翌日、私は悩みに悩んで父に電話をかけた。
「どうした」
父はいつもの声だった。私は意を決して言った。
「金を貸してほしい」
口にした瞬間、胃の奥が縮んだ。少し大人になったつもりでいた。しかし、自分が急に中学生に戻ったような気がした。部活の合宿費を頼むような声になっていた。
私は全部話した。父は最後まで黙って聞いた。
そして言った。
「いくら必要なんだ」
「1000万、貸してほしい」
1000万円。
言ってから、自分で吐きそうになった。親が老後の生活のために貯めたお金である。老後2000万円問題、そのまさに半分。最近「インフレだから2000万円でも足りない」という記事も読んだ。老後の安心を根こそぎ奪い去る、不孝で愚鈍な息子。
父は少し黙ってから言った。
「退職金が出た。そこから出す」
ありがとうが喉につかえた。こんなことをお願いしたくなかった。県内一の進学校に受かった時、慶應大学に受かった時、父は喜んだ。今の会社に内定をもらったときは、父はもっと喜んだ。今はどうだ。こんな苦渋に満ちた声を父に出させている。
「絶対に返す」
なんとか声を絞り出した。
「わかった」
「借用書も書くし、金利もちゃんと払う」
「わかった」
「絶対に返す」
「お前が踏み倒すとは思ってない」
「うん」
「失敗はいい。失敗した時の畳み方を間違えるな」
その言葉で、私は少し泣いた。
電話を切った後、私は借用書を書いた。金銭消費貸借契約書。貸主。借主。借入金額。返済期日。返済方法。利息。遅延損害金。
親子だから曖昧でいい、とは思わなかった。 むしろ親子だからこそ、曖昧にしてはいけないと思った。
ハンコを押した。現居の売買契約書へのハンコより、遥かに重かった。
*
数日後、彼女が私の家に来た。
当たり前だが彼女は何度もここを訪れていた。だが、買った部屋として見るのは初めてだった。
「ここは賃貸だと思ってたよ」
彼女は言った。「職場も一本で行けるしね」
私は「黙っててごめん」と言った。
「でも地震があったら大丈夫かなとも思ってた」
その言葉で、私はまた胸が縮んだ。
「ごめん」
私はまた言った。 彼女は部屋の真ん中に立っていた。椅子にも座らずに。 私は、ついに来ると思った。
別れの言葉。 婚約破棄。
当然である。 私は信頼を裏切った。結婚前に、将来の家計に関わる大きなことを隠していた。しかもインスタのキラキラしたインフルエンサーを信じて。情けない。情けなさに築年数があるなら、私自身も旧耐震である。
彼女は言った。
「別れるつもりはないよ」
私はすぐには意味がわからなかった。
「え」
「そんなつもりはない」
彼女はもう一度言った。私は彼女の顔を見つめた。
「でも、怒ってるのは本当」
「うん」
「呆れてるのも本当」
「うん」
「ただ、ちゃんと借用書を書いて、親に金利つけて返すのはまともだった」
まとも。
その言葉が、妙に胸にしみた。
私は医者でも弁護士でも資本家でもない。ただのJTCの社員である。しかも旧耐震をつかまされた社員である。まとも要素などどこにもないと思っていた。
「責任は取ろうとしてる」
彼女は言った。
「もし親に泣きついて、ただ出してもらうような情けない男なら、婚約破棄していたかもね」
それは優しい言葉ではなかった。 だが、優しさより効いた。
私はうなずいた。
「ちゃんと返す」
「うん」
「節約する」
「うん」
「仕事も頑張る」
「それは普通に頑張って」
彼女は少し笑った。
その笑いで、部屋の狭さが少しだけましになった気がした。気がしただけで、実際には狭い。旧耐震は旧耐震である。売却できるかも分からない。できても損は出る。父への借金もある。彼女への信頼回復もこれからである。何も解決していない。
だが、終わってはいなかった。
*
私はこの部屋を売る。 不動産仲介会社と媒介契約を結んだ帰り道、私はスマホを開いた。
オープンチャットの通知が来ていた。
リリカが新しい投稿をしていた。三田駅徒歩9分の旧耐震物件の情報とともに、
「挑戦する人だけが人生を変える」
という力強いメッセージが添えられていた。
「旧耐震は出口がないですよ」
「リリカさんはマージンを取っているんじゃないですか」
そんなことを打とうとしてやめた。代わりに静かに退会のボタンを押した。
駅前で、彼女が待っていた。私はその姿を見ながら、ちゃんとしようと思った。ちゃんと節約して、ちゃんと働いて、ちゃんと返そうと思った。
現実は変わらない。
あの後、ピケティの『21世紀の資本』を買って読んだ。厚かったけれどちゃんと読んだ。
ピケティは「投資をしろ」と言っていたわけはなかった。「最初から資産がある人がさらに富むという社会構造に問題がある」ということを言っていた。
ちゃんと働く人がちゃんと報われる社会になるべきだという主張だった。
同感だ。完全に同感だ。しかし、社会の変革には時間がかかるし、変わるとも限らない。私は1000万のハンデを背負いながら、この資本主義社会で生きていかなくてはならない。
リリカから来た「自己責任」という4文字。これが彼女の言ったことでもっとも有益だった。
私の選択の責任は誰もとってくれない。1000万の借金を背負ったのは、すべて私の勉強不足が原因だ。
あれから学んだ。死ぬ気で。
素人が手を出すべきではないが、旧耐震物件そのものが悪いわけではない。 マージンを取られ、割高なものを買わされたのが原因だ。
インフレに焦り、リリカのビジネスの構造も見抜けず、ピケティの本も読まずに、いっぱしの投資家ぶったのが原因だ。ちゃんとしなかったのが原因だ。
ちゃんと、という言葉は地味である。 しかし、たぶん人生を戻すのは、そういう地味な言葉なのだ。
ちゃんと。
私は心の中でそれを何度も言った。
ちゃんと返す。
ちゃんと働く。
ちゃんと相談する。
ちゃんと学ぶ。
ちゃんと生きる。
私に気づいた彼女が手を振った。焦らずに、ちゃんと、生き抜く。
(おしまい)
繰り返しになりますが、この物語はフィクションであり、特定のモデルはいません。
不幸な結末が嫌で、ハッピーエンドにしちゃいましたが、彼女に振られる結末もありうるではないかと思います…
他にも色々な「マンション文学」を公開しています。1話5分くらい読めますのでよろしければ!





