タトゥーを入れている。
日本では彫り物は疎まれていることも勿論わかっている。
だからこそ、この年齢になるまで我慢していた。
本当にタトゥーを入れる覚悟とその意味を理解しているのか。
若気の至りと言われたくなかったし、
若気の至りで後悔もしたくなかった。
そして今、後悔は1ミリもない。
初めてタトゥーに憧れたのは小学生だった。
きっかけなんて本当にありふれたもので、
好きな漫画のキャラクターがタトゥーを入れていたから。
そんな子供の時分にアイデンティティがどうのだとか、自己表現がどうのとかいう頭は全くなかった。
ただただ綺麗だと思った、それだけ。
今更だが、僕は根っからのオタクだ。
そしてヴィランと呼ばれるポジションのキャラクターに惹かれることが多い。
更にどうでもいい情報だが、推しは高確率で死ぬ。
どんな因果か、単純にそういう記号化されたキャラクターに惹かれやすいのか、
そういったタイプのキャラクターにはしばしばタトゥーが刻まれている。
これも僕がタトゥーや刺青に嫌悪感を持たないひとつの要因だろう。
勿論、10歳にも満たない幼い僕ですら、日本においてタトゥーや刺青が意味する立ち位置や歴史的背景は理解していたし、
今よりもっと偏見は強く、ニッチな時代だったと思う。
理解しながらもそれが悪いことだとは思えず、ただ綺麗だと思った。
肌の上に描く形のアートだとしか思えなかったのだ。
それは今も同じで、
暇さえあれば美術館を巡るようにSNSで世界のタトゥー愛好家の写真を見てまわるし、
モネを愛するように、特定のタトゥーイストを愛した。
本当に、僕にとって彫り物は芸術作品であって、それ以上でも以下でもなく、憧れの対象で在り続けた。
いつかいつか、自分の肌にも敬愛する彫り師さんの作品を宿して生きられたらどんなに素敵な毎日になるだろうと思った。
そんなことを考えながらも、僕の仕事は役者だ。
声優だけでなく、舞台役者として板の上で自分の身体を晒してきた。
だからこそ、役になる上で邪魔になるだろうと我慢してきた。
二十歳を過ぎた頃。
この世界で生きるには多少なりとも強かである必要があって僕も考えが浅いわけではなかったから、
当時の僕は若く、まだまだ売り出し中の年齢ではイメージ的にもタトゥーがその道の邪魔になるであろうことは理解していた。
そして何より、
『自分の将来が不確定なうちは衝動的にタトゥーを入れるべきではない』という考えが常にあった。
これはもし今タトゥーを入れるか悩んでいる若者がいたならば、この言葉をそのまま投げかけたいと思う。
若いうちの可能性は無限大だ。
そして価値観も変わりやすく、嗜好だって不変ではない。
その時、タトゥーが問題ない環境にいたとしても、1年後その環境に居られるかはわからないだろう。
仕事においては特にそうだと感じる。
自分がその仕事をなんらかの事情で継続できなくなった時。その仕事に飽きた時。その仕事に可能性を感じなくなった時。
タトゥーを受け入れられない環境で働かざるを得なくなった時に間違いなく後悔する。
仕事を選ばなければいくらでも働き口はあるだろう。
しかし、若く色々な可能性がある年代で、敢えてその間口を狭める必要があるのか。
タトゥーさえなければ如何様にも羽ばたけた筈の若者が、彫り物ひとつで歩む道を絞ってしまうのはとても惜しい気がしてしまうのだ。
だからこそ、若年層のタトゥーは本当によくよく考えて欲しい。
自分のやってみたいことや可能性とじっくり対話してみて欲しい。
(それでも…と思えるなら、この国においてタトゥーを入れるという覚悟と自覚を持って、自分の人生を背負って欲しいなと思うまでです。)
何より、自分自身の経験として、
高校生の頃に憧れていたタトゥーデザインだが、今思うとガチで入れなくてよかったと安心するデザインだった。
嗜好の変化や流行り廃りも加味して、彫るデザインは考えるべきである。
※ここまで読むと偉そうにタトゥー否定派の人間が語っている様に見えますが、お前が言うな状態なのは決して忘れてないです。
そして憧れ続けたタトゥーをついに入れるに至った経緯だが、
ひとつはやはり近年僕を悩ませ続ける鬱病の経験が大きい。
死が隣に寄り添い始め、生きる意味や生きることについて朦朧とし始めた頃、ただ後悔したくないと思うことが増えた。
持っている役たちへの影響を考えろ馬鹿者という声が聞こえてきそうだが、むしろ考えてきたからこそ何年も我慢できたのだ。
実際に何度もタトゥーを入れたいと発言する度、「タトゥーいれたら嫌いになります。タトゥー嫌いなので入れるなら役も降板してください」というメッセージをもらった。
言いたい気持ちも勿論理解できる。
偏見がある事もわかっていたけど、そこまでなんだ、と驚いたのは事実だ。
自分にはその嫌悪感が残念ながら全く理解できないので、自分にない感情を理解するというのは非常に難しい行為だった。
今もその嫌悪感に関して理解も共感も出来ないのだが、それを主張する人の気持ち自体は理解できるので否定はしない。
ただひとつ言いたいのは、「君は僕の人生に責任を持ってくれるのか?」ということ。
僕は僕でしかなくて、そのキャラクターとして生まれたわけではない。
そのキャラクター以外にもたくさんの役を持っていて、僕自身は僕として生きている。
その役柄ひとつのためだけに自分の人生の選択肢を捧げる気持ちには、どうしても今の僕にはなれなかった。
昔はそれでもいいと思っていた。タトゥーを諦めてもいいと。
けれど、今は変わってしまった。色んな経験をしてしまったから。
役への愛が薄れたとか、芝居への情熱がなくなったとかそんな表面的なものではない。
だってそのキャラクターはそのキャラクターで、僕じゃないから。
僕が背負っているのはそのキャラクターだけじゃないから。
メッセージをくれた人は、そのキャラクターへの愛が強いことはわかるし、素敵だと思う。
TPOに合わせて身形を整えるのと同じ様に、僕もキャラクターを背負って舞台に立つ時、場合によってはタトゥーは隠すだろう。
ただ、その役柄ひとつの為だけに、役者のプライベートまで制するのはあまりにもウェイトが重すぎるのではないかと思った。
ピアスや染髪やファッション。
現代でいうと美容整形なんかも近い感覚ではあるが、
正直他人に迷惑をかけたり法を犯さない限りある程度は問題ないと僕は考えている。
これは極端な話嗜好の問題で、言ってしまえば好きか嫌いかでしかないのだ。
罪人の証という歴史的背景が事実としてあるのはわかるが、今現在もそれが同じ様に儀式的に続いているかと言えばそうではなく。
結局のところタトゥーそのものではなく、その歴史的背景や反社的な人物、犯罪者に彫り物が入っていることが多いというイメージへの嫌悪が大半だと思う。
中には親からもらった身体に傷をつけることが理解できない、そもそも彫り物を綺麗と思わない、という人もいるだろう。
それも大雑把に言えば好きか嫌いかでしかないのだ。
刺青やタトゥーが違法行為でない限り、そうでしかないと僕は考える。
そしてきっと、タトゥーに嫌悪感を示す人はスカリフィケーションの類もきっと苦手なんだろうなぁと思ったりするし、
歴史の教科書とかめっちゃ心に響くのかなぁとか思ったりもする。
凄惨なニュースに毎日心を痛めたり、
フェティッシュバーみたいな場所に行ったら泡吹いて倒れるのかなぁとも思ったりするし、
心がとっても艶々で柔らかいんだろうなぁとも思う。
決してそれは悪いことではなくてきっとそれがマジョリティの反応で、
僕たちみたいな嗜好感覚の少しズレた人間は、なるべく目立たず品行方正に過ごすべきなんだろうとも思う。
仕事への影響はもちろん考えた。
声優と、声優を辞めてしまった"もしも"の可能性のふたつで。
声優の場合、もしかしたらタトゥーのイメージで仕事は減るかもしれない。
地上波にまた生身で出る様な機会に恵まれたとしても、タトゥーがあることでその機会を失うかもしれない。
しかし、服やボディーファンデーションでいくらでも隠せるということと、
本来は声優という表に出ない仕事であることで多少リスクは回避できるかと思ったが、それでもただでさえ活動休止して減った仕事だ。
更に減る可能性は否めない。
ただ、前例がないなら自分で試してみようと思った。
博打な考えではあるけれど、どうせ自分の人生は元から博打みたいなものだった。
ましてや病気で休止して、活動してんだかしてないんだかわからないくらいの今だ。
むしろ、今がチャンスだと思った。
次に、このまま鬱から復帰できずに声優を引退して、普通の仕事に就く選択肢。
正直これも活動休止してすぐの頃に考えたが、そもそも圧倒的に社会不適合者である僕が一般社会において働けるビジョンが全く浮かばなかったのだ。
これに関してはタトゥーの有無に関係なく、会社勤めや飲食店でのバイトなど、普通の人が普通にこなせるであろう仕事が恐らく僕には出来ない。
同じ職場に毎日通い、決められた業務を毎日繰り返すという行為に、理由はわからないが何故か気が狂いそうになるのだ。
実際に僕は工場の日雇いバイトで気が狂いそうになり、その日限りで二度とそういった決められたルーティンワークを繰り返すタイプの仕事をしていない。
毎日何かしらの変化がないと、呼吸が出来ない。
とにかく社会不適合者がなんとかまともに楽しく出来た仕事が芝居や生配信などのエンタメ業務であり、病気になって改めて思い知らされた。
自分には普通の仕事ができない。
(これは余談になるが、もしいずれ声優やエンタメ関係の仕事ができなくなったときには、特殊清掃の仕事に興味があるので可能ならば挑戦してみたいと思っている。)
だからといってはなんだが、後戻りや歩む道の変更という可能性は今の僕にはない。
この世界にしか、居場所がないのだ。
話が脱線してしまったが、そんなことがありつつ鬱の経験を通してとにかく自分の生き方に後悔したくないという思いが非常に強くなった。
やってみたいとか、美しいとか、見てみたいとか、欲しいとか、
とにかく一度心が死んで、無味無色の世界を知ってしまった自分にとって、
『感情が動く』行為全てが尊く、生きている間に出来る限りを全うしたくなったのだ。
そのひとつがタトゥーだっただけで、この先もきっと僕は色んなことをしていくだろう。
生き急ぐ様に、残された時間が僅かだと自分に言い聞かせて生きていくつもりだ。
彫り師さんは、とうの昔に決めていた。
何年も前に一目惚れした。
彫り師さんは絶対にこの人と決めていたものの、細かいモチーフと場所に悩んでいた。
やはり一生モノで、安易に決めてはいけないからだ。
絶対に後悔はしたくなかった。
日和った僕は、とりあえずファーストタトゥーは絶対に変わらないものを彫ろうと決めた。
生年月日。
飽きるとか飽きないとか、好きとか嫌いとかそういうもんじゃなくて、生まれてから死ぬまで自分に付きまとうもの。
これなら自分とタトゥーの相性を試せると思った。
一目惚れの、思い続けた彫り師さんにはどうしても心に決めたモチーフを彫って欲しかったので、
ファーストタトゥーの生年月日は信頼できる友人の紹介の彫り師さんに入れてもらった。
よく聞かれるが、タトゥーの痛みは想像を超えることはなかった。
ボールペンで同じところをなぞる様な、その程度のもの。
ほぼ無痛と言っても間違いないくらい、あっという間に終わった。
長年思い続けたタトゥーが自分の肌に映されたが、これに関してはよくも悪くも何も変わらない、あっけないものだったというのが本心だ。
言い方が悪くなってしまうが正にお試しでしかなく、タトゥーを入れたからと言って人生が変わるなんて大それたものでもなく。
ただただスッと自分に馴染んでいた。
ずっとそこにあったように、僕自身はびっくりする程何も変わらなかった。
だから、タトゥーに生まれ変わる様な劇的な何かを期待して入れる人がいるのだとしたら、これに関しては青木的には思った程世界は変わらなかったという感想を伝えておきたい。
ただそのあと、湯船に浸かって水の中で揺れるアルファベットを見る度に、少し嬉しくてタトゥーを指でなぞる自分がいた。
生年月日のファーストタトゥーを経た後、
思いの外自分に馴染んだタトゥーとの生活で、心に決めた彫り師さんについにお願いした。
ブッキングのDMを送るとき、返事を待つ時間、鼓動が速くなるのを感じた。
ワクワクしている自分がとてつもなく嬉しかった。
まだこんなにもこの先の世界に期待している自分がいることが嬉しかった。
大まかなモチーフ自体は何年も何年も変わらずに決めていた。
オオミズアオ。幸運の蛾。
それはそれは美しい蛾である。
どうして蛾なのかについては語ると長くなるので、いつか機会があれば話したいと思う。
(蝶と言われると少しムッとしてしまう程度に面倒臭い想いが蛾にあるので、ここでは声を大にして蝶ではないと主張しておく。)
施術の日がとにかく待ち遠しかった。
まるで誕生日を待つ様な気分で、
自分の誕生日なんて待ち遠しかったことなど一度もないのに、プレゼントを待つ子供の様に心が躍った。
出来上がったラフ画を夜な夜な眺めては日付を数える日々。
恋ってこんな感じだろうなと思った。
痛い部位だと彫り師さんには言われていたけど、驚くほどに微塵も痛いと感じなかった。
辛い食べものが好きで良かったと、中本を思い浮かべながら施術台に横たわった。
(むしろ針を入れる度に、何故か関係ない足の裏が痒く、痒さを我慢する方がつらくて笑いそうになった。)
彫り終わった作品を見た瞬間、嬉しくて鳥肌がたった。
ファーストタトゥーの時とはまるで違う感想に自分でも困惑しつつも、
自分で選んだわけでもない呪いみたいな数字の羅列と、長年温め続け想いの込めたモチーフが同列であるはずないよなと思ってすぐに納得した。
自分の身体がこんなにも愛おしく感じたことがなかった。
子供が生まれたらこんな感じなのだろうか、と思う程に描かれた線が輝いて見えた。
色が飛ばない様に、線が滲まない様に、大事に大事に育てた。
見る度に気分が上がり、自分の肌にこんな素晴らしいアートが刻まれていることが本当に嬉しくて幸せだと感じた。
自分を愛せるなんて、魔法だと思った。
初めてネイルをしてもらった時と似た気持ちだったかもしれない。
自分の身体にこんな美しいモノが宿ってるなんて!
そんな気持ちに、毎日なっている。
(容姿が美しい人々は、もしかして常にコレを感じているのか?と思うと羨ましくもなった)
「気合を入れて彫ったので、喜んでいただけると嬉しいです」と言ってくださった彫り師さんの顔が忘れられない。
人間の肌にこんなにも繊細で美しい絵を描けるタトゥーイストさんたちは、紛れもない芸術家だと思う。
とてもじゃないが、真似できる代物ではない。
そんなこんなで僕はやってみたかったことをひとつ叶え、いつ終わるかわからない人生を後悔なく終えられる様、死に向かって順調に支度できている。
他にもやりたいことはたくさんある。
オーロラを見に行きたいし、砂漠にも行きたい。
海外でポーカーもしたいし、もちろん出来るならこれからもたくさん芝居がしたい。
どれだけ叶えられるかわからないけど、やりたいと思えたことにはなるべく挑戦してみようと思っている。
(勿論、法に触れない範囲で。)
タトゥーに関しては、当たり前に否定的な意見はくるだろうと思う。
だからこそ何年も我慢し、色んな可能性を考えてした決断だ。
偏見をなくせだとか、日本は時代遅れだとかそんな無駄な事を言うつもりは1ミリもなく。
偏見なんて当たり前だし、何度も言うが日本という場所と歴史的背景や現代でのタトゥー、刺青の立場を理解した上で入れている。
だからこそなるべく人様に迷惑をかけず、人間らしくほどほどに真面目に生きていこうと思う。
なかなか居ないとは思うが、万が一同じ業界でタトゥーに興味がある人がいたとしたら、僕を実験台としてこの後の立ち回りの参考にしていただけたらと思います(笑)
最後に、
タトゥーを入れる人は馬鹿だとか頭悪いとか言われるけど、まぁ言われても仕方ないと思うよ。
嗜好が偏ってて世間一般の大多数から嫌われてるモノって理解した上で、色んな可能性を自分で殺す選択してるんだから。
自分でももっと普通の感覚だったらよかったのになって思うよ。
でも仕方ないじゃんね、これを美しいと思う感性で生まれてきちゃったんだから。
愚かではあるけど、IQ高いから馬鹿じゃないも〜ん😄✌️ってポジティブに生きてる。馬鹿って言われても、そう言ってくる世界の大多数より知能指数は高いも〜んって思って生きる。その考え方が馬鹿で品性に欠けるんだよって、また言われるんだろうな。馬鹿と馬鹿で罵り合っていこうな。
人間の数だけ、生き様があっていいと思います。
棺に入るその日まで、人生という名のMMORPGでキャラメイクしてんだ〜!人生ハードモードの方が楽しそう〜!





