公園で聞いた息子の一言
5歳の息子が、公園でうんていをしていた。
そこに小学生くらいの男の子が来て、同じように挑戦した。
でも、その子はうまくできなかった。
それを見た息子が、こう言った。
「小学生でもできないの?
俺、5歳だけどできるよ!」
正直、最初に出てきた感情は「そんなこと言わないで」だった。
恥ずかしかったし、相手の子や親に申し訳ない気持ちになった。
でも次の瞬間、ハッとした。
あれ、これって僕が息子に使っていた言葉だ。
息子のやる気を引き出したかった
うちの息子は人一倍負けず嫌いで、自信がないことは最初から避けるところがある。
僕は、失敗してもいいから挑戦してほしかった。
でも普通に「やってみよう」と言っても、なかなか動かない。
ある日、息子がうんていを少しできたときに、
「5歳なのにそれできるなんてすごいね〜!」
と言ったら、すごく喜んで、何度もトライするようになった。
そこから僕は、挑戦してほしいときに、
「これはまだ5歳だから、さすがにできないよね?」
と、冗談混じりに少し挑発するような声かけをするようになった。
息子も、
「パパ、“これはできないでしょ!”って言って」
と言うことがある。
僕にすごいところを見せたい。
できるところをアピールしたい。
そのスイッチを入れる、親子の中での合図のようなものだった。
実際、それは効果があった。
うんていもかなり上達したし、他のことにも挑戦することが増えた。
比較を勧めていたつもりはなかった
もちろん、僕は他人と比べることを勧めていたつもりはない。
「誰々よりできるからすごい」
「他の子より上手だからえらい」
という言い方は、なるべく避けていたつもりだった。
純粋に、
できたときの嬉しい気持ち。
できなくて悔しい気持ち。
もう一回やってみたいと思う気持ち。
そういうものを大事にしてほしいと思っていた。
だからこそ、公園でのあの一言に少し怖くなった。
声かけが別の意味を持ち始めていたのかもしれない
息子が本当に「人と比べて上に立つこと」を価値観にしていると決めつけたわけではない。
5歳なら、自分ができることを誰かに見せたい時期でもあると思う。
「見て!」
「できた!」
「すごいでしょ!」
そういう気持ちが出るのは、自然なことだと思う。
ただ、僕が危機感を覚えたのは、直接そう教えたつもりはなくても、親子の中で繰り返していた声かけが、息子の中で別の意味を持ち始めていたのかもしれない、ということだった。
「年齢の割にできる」
「できないと思われたけどできた」
「できない人がいる中で、自分はできる」
という方向に、息子の嬉しさを少し寄せてしまっていたのかもしれない。
声かけが、どんな価値観として残るのか
親としては、子どもを動かしたくなる場面がたくさんある。
着替えてほしい。
片づけてほしい。
挑戦してほしい。
諦めずにもう一回やってみてほしい。
そのために、工夫していろいろな声かけをする。
今回、僕が考えさせられたのは、子どもを行動させること自体が目的になっていないか、ということだった。
うんていができるようになった。
失敗しても何度も挑戦するようになった。
結果だけを見ると、よい変化に見える。
でも、その声かけが子どもの中でどんな意味として残るのか。
そこまで考えないといけないのかもしれない。
もちろん、「人よりできるようになりたい」という気持ちを、すべて否定したいわけではない。
負けたくない気持ちが力になることもある。
でも、良かれと思って使っていた何気ない声かけが、子どもの中で予期しない価値観として残ってしまうことがあるのかもしれない。
僕はそこに、少し怖さを感じた。
子どもを動かすための言葉が、
子どもの中でどんな価値観として残るのか。
息子の一言で、そこまで考えたいと思った。





